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夢は座席で安楽死。

観る→考える→想う→書く。

【デスミュ】私がデスミュに涙を流した理由

デスミュ

デスノート The MUSICAL

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2015年4月6日~4月29日
日生劇場


そもそもブログを作ろう!と思い立ったのは、現在公演中の「デスノート ザ ミュージカル」のおかげである。
なので作って早々だがしばらくはデスミュの話しかしないかと。


私がデスノートという作品に出会ったのは、読み切り版が週間少年ジャンプに掲載された時だった。
その時の感覚は薄ぼんやりとしか覚えていなくて、鏡太郎という主人公の大人バージョンがとても好きな雰囲気だなあとにやにやしていた、それくらい。

それから気がつくと新連載が始まっていて、当時(今も)中二病全開の私がデスノートの世界にどっぷり浸かるのに時間はかからなかった。
登場人物の中でもLが一番好きで、誰と比べる訳でもなく、何の知識がある訳でもなく、「デスノートの世界」を好きだ好きだと言っていた。
その時の私はまだオタクレベルが低く、本当に純粋にコンテンツとキャラを無邪気に楽しみ、お金を落としていた。

少年ジャンプは作画が変わる事があるからと本誌を切り抜いて保管していたし、
コミックスは保存用等といって何冊か買っていたし、映画もワールドプレミアの試写会とか行ってたし、
アニメは毎週録画、DVDは購入、グッズもなけなしのお金をはたいて集めていた。
今も昔も揺らがないことは、私の中のデスノートはとかく原作が基盤で、原作のLと、それからLと月の関係性が大好きだった。


「だった」というのは、今はそうではないという意味ではない。


デスノートの原作が最終回を迎えてから、私はしばらく抜け殻のようになっていた。それから2015年の今まで、一度もデスノートのことを嫌いになったことはなかったが、逆にずっと「好きだ」といい続けていたかというとそうではない。
デスノートを大好きだと思う気持ちを胸に秘めたまま、私は別の方向のオタクになっていた。


そう、舞台である。


元から舞台に興味があった私は、ずるずると舞台の沼へと落ちていった。楽しくて堪らなかった。
けれど、舞台オタクのレベルがアップしていけば行くほど、色々疲れる事も沢山ある。それはどこのオタクの世界でも一緒だ。
丁度今、何にも夢中になれていない私がそこにはいて、何か楽しい物はないか?とぼけっとしていた。

そんな時、デスノートがミュージカル化するという情報が入った。
正直な事を言うと、現在の漫画原作の舞台に少し食傷気味になっていた。
ただし、キャストや劇場の規模から見ても、クオリティが高いものだというのは解っていた。
身近にキャストのファンの方がいて「公演期間も長いから良かったら」と背中を押してもらっていた。
でも、それを踏まえた上でも食傷気味になっていた私は「とりあえず様子見かな」くらいの気持ちでいた。


初日の幕があけて、色んな感想が飛び交っている。賛否両論だった。それが私には堪らなかった。
賛否両方あるということは、考察の余地があるということだ。更には公式がご丁寧にダイジェストの映像までアップしてくれている。動画を再生し「これは観ないと駄目だ」そう私の本能が叫んでいた。
その後、まるで死神リュークが「暇つぶし」でデスノートを人間界に落としたように、ミュージカルのチケットは私の手元に舞い降りた。
(実際はプレイガイドで購入して発券しただけである)


良かったらまた観にくればいいやと思っていたので、特に席にはこだわらなかった。
選んだのは柿澤ライトの公演の、2階席のチケットだった。全体が観たかったので丁度よかった。
雨の降る中、一人で会場に向かう。劇場に到着し、座席に腰をかけると、生オケがチューニングを行っている。舞台の上には林檎が1つ、ポンと無造作に置かれていた。
その時点で、もう駄目だと思った。

舞台が始まり、1幕の間はずっと背筋がぞくぞくとして止まらなかった。
Lに扮する小池徹平が目の前に現れた時(座席的にはまったく目の前ではない)は、思わず涙が零れた。
休憩時間はずっとメモがきをして思ったことをどんどんと放っていた。


私がデスノートから離れていた数年間の間、私が舞台のオタクになっていたことを、自分で褒め称えたかった。
2015年の私は、ステージの上でいきなりキャストが歌って踊っても驚かなくなっている。
原作どおりのシーン展開でなくても文句を言わなくなっている。
突然ボールの無いテニスをしても違和感を感じなくなっている。
脚本や細かい設定よりも、「そこに登場人物が生きている」事に喜びを覚える様になっている。


私が舞台にはまり、ずぶずぶと舞台の沼におぼれていたお陰で、私はデスミュを心の底から楽しむことが出来たのだ。
まるで、デスノートの記憶を取り戻した時の夜神月のように、頭の中をぐるぐると「デスノートを好きだった時の自分」の記憶が戻っていく。
とても鮮明に、綺麗に。「大好き」という感情と共に、胸と頭をいっぱいにした。


物語の展開や細かな設定、それからこのミュージカル自体を100点満点で評価するかといったら、気になるところがない訳ではない。
でも、今大事なのはそこではないんだろうと思った。
私の大好きな作品の世界が目の前にあって、私の大好きなキャラが「3次元」として生きている。キャラの心理描写が、堪らなく胸に突き刺さった。


気がつくと幕は降り、私は静かに涙を流しながら拍手をしていた。何も言葉にならなかった。
客席に座っていた私は、10年前の、純粋な気持ちでデスノートを楽しんでいた私だったのかもしれない。
私がかつてデスノートにはまらなかったら、私が舞台にはまっていなかったら、今こんなに頭の中をかき乱すことは無かった。


原作終了から時間をあけて、私は舞台オタクになり、そして舞台上でデスノートが演じられている。
その全てが最早奇跡とさえ感じられた。とかくそれくらい楽しかったのだ。


あそこがこう、あのキャラがどう、それから……そんな気になる点はワンサカある。どの舞台だってそうだ。
しかし、どんなに気になる点があっても、それを上まる感動が舞台の上にはあった。その明確な正体がなんなのか、未だに解っていない。
けれどSNSで色んな方の意見を拝見したり、話しをしている内に、「関係性の描写」が強かったからなのかな、という風になんとなくぼんやり思っている。
確かに私の目の前には、Lが、月が、デスノートの世界が、生きていた。
生きて悩んで笑って交流をして、関係性を構築していた。


なので私がとにかく伝えたい言葉は、「ありがとう」のたった一言なのだ。


私はすっかり舞台オタクになってしまったので、この後どうしたらいいのかは解っていた。
そう、黙ってチケットを増やすだけだ。
ぼんやりしてしまっていた私の毎日に、夢中になれる物が降りてきた。だったらとことん突き詰めてやろう、と思っている。
しかも今回の公演はWキャストなのだから、2倍楽しむことが出来る。最高じゃないか。


観劇が終わってからぐるぐるといろんな事を毎日考察しているが、まだまだ飽きたりない。
久々に表立ってTwitterで発信したり交流したりをしている気がする。お付き合いして頂いてる方には頭が上がらない。
10年前にぼんやりただ「好きだ」と言っていた私に聞かせてやりたい。
今のお前は「デスノートが大好きだ」という事をいろんな人と共有できてるよ、と。
多分私の中に未だ存在する、10年前の私はそれを解っている。だから私は泣いたのだ。
日生劇場の客席で。10年以上の想いをこめて、ただ静かに涙を流した。それが全てだった。



ひとまずこれからは、Twitterにぽいぽいとバカみたいに投げ出した感想やらを、テーマごとにちまちまとまとめていけたらと。