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夢は座席で安楽死。

観る→考える→想う→書く。

【デスミュ】人の痛みとキラと妹

デスミュ 【※】ネタバレ

※作中のネタバレ含みます。



個人的初日の観劇が終わってから、一気に原作を読み返し色々と考えていた。
そんな中、当時から自分の中でインパクトがあった下記の言葉が再度ひっかかった。

デスノートの記憶を失っていた時の夜神月は“人の痛みを知る事が出来る好青年”だった。
リュークが人間界に興味をもたなかったなら?
…Lと方を並べ、最高峰の警察関係者として犯罪者に立ち向かっていたのかもしれない。

公式ファンブック「DEATH NOTE13 HOW TO READ」より


リアルタイムで観た時も、公式がこの物語においてifを提示してくるのは凄いと思ったのだが、今回改めて目の前に三次元でデスノートの世界が広がったら、余計にこの言葉がしみた。
引用の通り、原作の月は一旦記憶を失い「人の痛みを知る事が出来る人間」に引き戻される過程が描かれている。
しかしミュージカル版の月は記憶を失うことがない。なのでただひたすらまっすぐに「人の痛みを知る事ができなくなっていく」だけだ。


これはなんとなくぼんやり思ったことだが月の中の「人の痛みを知る事が出来る人間」の部分(以降「人間の部分」と表記)の象徴が、粧裕なのではと思う。
3時間もないこの世界の中での月の心境の移り変わりは、そんな粧裕との距離や、やり取りの態度の変化に重点を置いて観ているとわかりやすい。
なのでミュージカル内の粧裕の存在は決して伏線要員だけではなく、とても重要に思える。


物語序盤では、粧裕と話しているときの月の表情はとても穏やかで、嘘偽りのない良い兄の姿だ。
そして「お兄ちゃんこういうの好きじゃないのに」と言われながらもミサのライブに足を運ぶ。
直後のM-7「私のヒーロー」の歌詞と、月の表情がなんともいえない。


目の前にいる兄に対して「空を飛べる翼は無い魔法だって使えないけど」と粧裕は表現する。
粧裕は月に「世界にとって特別な存在になって欲しい」なんて思っていない。
ただ月が月としてそこにいて笑っていてくれたら、それだけで“私の”ヒーローなんだよ、とまっすぐ伝えている。
そんな粧裕の言葉を聞いて、月は物凄く心を痛めているように見えた。
この時の月はまだ、粧裕という「人間の部分」が見えていた。聞こえていた。
それでも、夜神月はまるで坂道を転がる石がスピードを増して落下していくかのように
人の痛みを知る事が出来る人間(=粧裕)から遠ざかり、「キラ」へと向かっていく。


2幕M-18「秘密のメッセージ」を月に聞かせに来る粧裕は、相変わらず幸せそうな表情をしていた。
ところが月の方はというと、粧裕の存在よりも明らかに「第二のキラ」への意識が強まってしまっている。
物語後半では部屋に訪れる粧裕に対して、月は微塵も興味を抱いていないどころか、むしろ邪魔とさえ思い邪険に扱う。
自分が神だと思い込み、どんどん粧裕のこと、自分の「人間の部分」に、興味が無くなり見えなくなっている姿を見るのが、辛かった。


物語ラスト、兄の結末を知った粧裕は泣き崩れる。
粧裕にどこまでの事実が伝えられたのかは解らないが、どんな意味であれ、彼女の「ヒーロー」がいなくなってしまったという事実だけは揺るがない。
その姿はまるで「人の痛みを知る事が出来た頃の月」が泣いているようにも見えてとっても悲しくなった。


確かに、作中において月とミサの出会いの伏線を作ってしまったのは他でもない粧裕自身だ。(粧裕がそうしなくても、別の方法で出会っていただろうという事は更にifなので除外する)
坂道を転がる石は、スピードを持ち、最終的には加速しすぎて地面に到達するまえに砕け散る。
そんな末路があろうとは知らず、月の「人間の部分」を象徴している粧裕が、そんな風に石が転がり落ちる原因を作ったというのがあまりにも皮肉すぎる。
なんて事を思いながら観劇していたら、それだけでまた辛くなる部分を増やしてしまった。


ただ願わくば、夜神月という石が砕け散る間際、「人の痛み」を、粧裕の存在を少しでも思い出していれば、そう思う。