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夢は座席で安楽死。

観る→考える→想う→書く。

【舞台】クロードと一緒に(2014年ver.)

※2014年Ver.の感想メモを今更まとめたものです。


Being at home with Claude~クロードと一緒に~

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2014年5月14日~18日
青山円形劇場


昨年の今頃、「クロードと一緒に」という作品を観た。
稲葉友くんの回と、相馬圭祐くんの回とどちらも観た。何回観たか忘れたけれどセリフを覚える位の回数は観た。


とても感銘を受けて、感想をぼろぼろこぼしていたのだがまとめ損ねていた。
今年の松田稜くん版も観にいく気でチケットを購入していたのだが、今この状態で「クロード」を観たら自分の頭が壊れるのは解っていたので、凄く後ろ髪を引かれたがチケットを探していた友人に代わりに行って貰う事にした。
結果的にそれでよかったのだが、でも去年自分が思ったことを吐き出すなら今かな、と踏んだので考察の息抜きに「クロードと一緒に」の感想を投げておくことに。
感想読み返していたら、やっぱり行きたかったな~と思ったんだけど、そうやって想いをはせるくらいがこの作品はいいのかもという事にする。
何故なら、感想の引き出しを開いただけで、具合が悪くなりそうになった。1年経っても、やっぱりこの作品は重すぎる。



※以下、昨年のメモに一部加筆修正したもの。


初回観劇翌日の感想

この舞台に関しては私はド頭から「イーヴの感情を理解できない人が理解できない」という意識で見ていて、改めてもう一度見てみてもやっぱりそうだった。
だから正直言うと刑事の方が何を言ってるのか解らな過ぎて「???」となってしまうというか。
だって愛する人を殺すのって最大の愛の感情でしかなくて、それが憎しみだとしても、それは愛情の裏返し。
「自分を見てくれなくなったから」「自分を否定したから」「自分の事を好きじゃなくなったから」。そして「そうなる時が怖いから」というのが答えでしかない。


比較対象として私は「ゴドーを待ちながら」と「金閣寺」をあげている。
「ゴドー」に関してはその感情が自分に向く。
「いつかくるかもしれないゴドーと言う希望」を待っている時間がとてつもなく幸せである、けれどそれがもしかしたら来ないのではないのか?という疑問…
つまるところ「今以上の幸せはないどころか今のこの希望にあふれた幸せな時間すら奪われるのでは」という気持ちが芽生えてしまったから彼らは命を絶った。


金閣寺」に関しては攻撃型である事に間違いはない、ただ愛と言うより信仰なのかな。
自分が恋焦がれているものが、理想とする物が、いつまでも綺麗でいる為には、自分が一番綺麗なうちに無くしてしまおう。という。
自分の理想が自分の理想であり続けるための「生にしがみつく」為の行為だから、どちらもまたクロードとは違うんだけど。感情の原動力としては一緒だろうか。


クロードはそれらが「愛」に向いている。
自分がとてつもなく「彼」を愛していると気が付いた、そして「彼」が自分の事をまるでまったく同じように愛している。
そしてその事実に気が付いた瞬間、「もっと先の幸せ」ではなく「この幸せが無くなる恐怖」が見える。


それはイーヴの生まれと、育ちと、生き方と、性格と、それから全て。
クロードに出会う事が無ければ一生知りえる事が無かった感情、けれど出会ってしまった、出会ってしまったからには何かしらの終わりがある、終わりを神に決められるくらいならこの手で終止符を打ちたい。という感情。
その感情がとっても綺麗だと思った。とにかく綺麗。物凄い解る。でも自分が死ぬんじゃ意味がない。
何故ならそうしたら「彼」の未来は自分を差し置いても進んでいく。つまり「相手の時間を止める」事でしかこの恐怖は拭えない。
だからそれを拭う為にイーヴはステーキナイフを衝動的に手に持った。


全てが終わった後に「あの人を失う事の無い世界」が訪れた事に心底安堵をして帰路につく、けれどその安堵と共に今度は「あの人がいない世界」の存在に気が付いてしまう。
それを望んでいたのは確かに自分だったはずなのに受け入れる事が出来ない、だから蓋をする、見なかった事にする。
でもいくら蓋をしても漏れ出る感情は抑えが利かないもので、とかくイーヴは「誰かに自分があの人をこの世から奪った事」を、そしてそれと共に「あの人と自分は確かに愛し合っていたこと」を認めて欲しくて、解って欲しくて、伝えたくて、だから今回の行動を取った。


全ての原動力はただの愛でしかない。
愛してるからこそ手に入れて、怯えて、奪って、失って、傷ついて、けれど認めて欲しくて。
なんて幼稚で考えなしで、けれど衝動的かつ奥深い感情なのだろうという所で涙がとまらなくなる。


「私達であわなければよかったね」の理論というかなんというか。
出会う事が無ければ幸せを感じる事もなかった、自分のモノクロの世界に色が入ってしまったらもうそこからは抜け出せない。
だったらいっそ全部無かったことに出来たら……って、言ったって、手放す事なんてできっこない。
手放すことが出来ないから、自分の手で終止符を付けるしか結論が無くて、だからあんなにも苦しい物語が出来るんだよなと思った。
きっと彼らが幸せになる未来は他にあったんだけど、あの時の彼らの最善はあれでしかない。特にイーヴの中では。
だからきっとこの結末が彼らにとってのハッピーエンド(メリーバッドエンド)なのだけど、だとしたら余りにも辛すぎる、かわいそうすぎる、どうしてどうしてってなってまた涙が止まらない。
どうか来世で幸せになって欲しいと願うばかり。

「クロード」がDVDにならない事について

他の方の感想を見たいけれどまったく見たくなくて、この綺麗な舞台そのものをもう綺麗な思い出として封印してしまいたい、という感情にばかり襲われる。
最早DVDにならない事すらが「そこで終止符を打つ」というとても綺麗な状態なのかもなとも、ふと思う。
聞き返してひっかけになる言葉遊びは特にされてないし、この話はあくまでもイーヴのイーヴによるイーヴの為の主張でしかないから、後々の考察もいらなければ布石を拾う必要もない。
とすると残るべきは劇場で感じた「感情」だけで、DVDという「媒体」として残す必要はハナからないのかなとは思う。

ダブルキャストについて

稲葉イーヴが静ならば、相馬イーヴは動。
稲葉イーヴは真っ暗闇の中に一筋の光を見つけている感じ、相馬イーヴは眩しい世界から自分だけが落ち着ける暗闇を見つけた感じ。
びっくりするほど真逆だった。でもだからこそお互いのよさがさらに引き立つ。


相馬イーヴはものすごく熱量があったので打撃で攻撃うけてる感がすごくよかった。
ただ私の趣味としては稲葉イーヴの毎日少しずつ毒を盛られてる感じのほうがじわじわくるかもしれない。
稲葉イーヴが「おひさま」っていうのがすごく儚くて、きっと「あの人」は稲葉イーヴにとっておひさまみたいだったんだろうなと。


私のイメージする世界の中では。稲葉イーヴは弱くて、儚くて、壊れてしまいそうで、綺麗だった。
相馬イーヴは、強くて、逞しくて、壊れてしまっていて、汚かった。その対比が凄い。
「手に入れられないはずのものが手に入ってしまった感」は稲葉イーヴのが断然だった。
ただ逆に「生を確かに実感させる」のは断然相馬イーヴだった。


「生にしがみつく」と「死を否定する」は似て非なるもので、とても積極性のある感情と消極的な感情だと思う。
稲葉イーヴは他人事の様に語り聞かせる、相馬イーヴは自分の事だと信じたくなくて自分に言い聞かせる。
どちらもつらいものがある。だからどちらも観てよかった。


好きなセリフうろ覚えのメモ

※去年の自分が物凄くおかしくなっていた事を思い出した。


そう、いや解んないよ。それが僕のした事なんだ。あんたが言う通り意味わかんないかもしれない。でもこの時には意味があったんだよ。

僕は誰とも話したくなかった。いい映画を観た後みたいな、その映画の感想を口に出すまでは心にはっきりと残ってる、でも口に出したら、いつもそう。映画の余韻はどっかにいっちゃう。そう、これはいい映画だけじゃない。あの最悪な映像だって頭にこびりついてたんだ。

それはなんていうか、キツイ仕事をして帰って来た夫を迎える愛しい奥さんとも違うし、ドラマに出てくる優しいお母さんとも違う。あの人はそういうドラマバカにしてたけどね。だからそのキスはそんなやすっちいもんじゃなかった。
あのひとは男で、少年で、それはとてもシンプルで、それはまるで、いきなり故郷に帰って来たみたいだった。

だからあの人がぼくに感じさせてくれたその幸福感をおんなじくらいあの人にもとてつもない幸せを感じさせたかった。バカみたいっていうのはどうしたらそれが出来るか解ったって事。人生で初めて他人の頭がどんなふうに働いてるか解った瞬間だった。凄く簡単だった。

僕がしなくちゃならない事は、世界中で僕を幸せにしてくれるのは何かを自分に問う事で、つまりそれはあの人の喜びは僕の喜びって事だった。あの人が幸せになるなら僕も幸せ、逆もおんなじ。それが全てだよ。

何言ってるか解ってる?解ってんのか、解んないよな。言い表す言葉が無いんだよ、じゃあどうする。言葉は感覚を表現してくれるんだろ、学校で習ったんだろ、言葉が全てで、全ての物には名前がある。だったら言葉にならない感覚をもっと勉強しろよ、どう頑張っても言葉になんて出来ないから

ほら勉強して言葉にしてみろよ、単語から熟語まで勉強して言葉にしてみろよ、出来たら帰って良いよ、あんたがやらなきゃいけない事は言葉で皆に理解させる事だろ、物書きで飯食ってる連中の事は忘れろ、アイツらはキチガイだ。言いたい事があんのか?言えよ。簡単だろ、僕に何があった?

すっごいシンプルじゃないか。僕は自分で言ってる事は自分で解ってる。でもあんたは理解できてないんじゃないのか。じゃあどうやって皆に理解させるんだ、僕がちゃんと喋ってるのに、デタラメみたいに聞こえるんだろ?でもデタラメじゃない全部真実だ。

真実はひとつだけ、この腕の中で歓喜したり、泣いたりしているあの人だけなんだ、僕は、僕らは溺れてるんだって思ってたのに、とんでもなく溺れてるって思ってたのに、突然終わったんだ、もう水の中じゃなかったんだ、ちゃんと息が出来るようになっちゃってたんだ。

僕は辛い事を山ほど味わってきた。そんな事説明してくれなくたって解ってるよ。 でも僕は、そん時は考えもしなかった、真実は彼だけだ、彼以外に真実なんてない、でも、僕らは引きこもってられないんだ。

今後もし何か起こっても、一ヶ月に数秒だって今夜みたいな夜は味わえない。そしてそれを解ってるのに残りの人生過ごして行く事なんて出来ない、だから………覚えてるのはこれだけ。

あの人は綺麗だった、あの人は喉を抑えられなかった、だって僕を抱きしめていたから。ただ願ってる、あの人が僕が見たのと同じ光景を見ていなかったようにって、ただ願ってる。あの人はこれから何が起きるのか知らないままに生まれて来たんだと願ってる。コインの裏側を知らないままに。

あの人は、喜びの中で死んだんだ。自分の人生が薄汚れて行くのを見る事無く。あの人を、愛してる。

僕は姉さんの事を考えた、あんたに電話しなくちゃいけないって解ってた。 だって考えてた事って言えば、腐っちゃうって。


……諦めたよ。