夢は座席で安楽死。

観る→考える→想う→書く。

【ひとりごと】一体何を「再現」するのか

Twitterで呟いていたもののまとめなおし


「2.5次元舞台」ってなんだろう?と、毎回思っている。
コンテンツとしては嫌いじゃないし、むしろ楽しい。好き。でも、何か私の中でひっかかる物があったりした。
そもそも「原作もの舞台」のどこからが2.5次元舞台で、どこからが2.5次元舞台じゃないのか。
今回デスミュを見て、そして人様の感想を見て、自分の中で言い表せなかったものがなんとなくまとまりそうだったので、改めてそれについて考えようと思った。
日々考えている事なので、まあとりあえず今の気持ちをぽろぽろと。

誰に対するコンテンツなのか

昨今の漫画原作や乙女ゲー原作などで既にビジュアルや細かいキャラクター設定があるコンテンツを舞台化する際に、「それは一体誰の為のもの」になるのだろう。
原作ファンなのか、はたまたキャストファンなのか、演出家や脚本家のファンなのか。
私は、最近の原作物舞台がどうにもどっちつかずに思えてしまうことがある。


今回のデスミュに対して「私達はもうフィルタがかかりすぎて悪いところが見えてないかもしれない」という話になった。
そういえば初日近くは比較的ネガティブな感想を見受けたなと思って、興味を持って調べてみた所、
大きく分けて大体「原作との相違が受け入れられない層」「原作を知らないので話がわからない層」がいるように感じた。

前者について

最近の2.5次元舞台も私は好きだし、勿論どれも魅力的なものは多い。
原作そっくりな衣装、ウィッグ、カラコンをいれて、ダイジェストの様に名言セリフをなぞっていく。キャストが2次元の方に歩み寄ってるイメージというかなんというか。
「キャラクターやセリフの再現率」は尋常ではないと思う。
ただ、今回のデスミュは確かにそういう事は行われていない。故に原作愛が強すぎてどうしても“納得できない”部分があるのは、当たり前の事だと思った。
なによりこの舞台はとても「3次元的」だなと感じている。デスミュは明らかに「作品を3次元に引っ張り込んでる」と思った。
とってもリアリティが高いし、漫画原作のミュージカルじゃないんじゃ!?とすら感じたので、そのリアリティがネックになる方もいるのかなと、少し思った。

後者について

こちらは補足のしようがない。何故なら自分は「知識がある」からだ。
原作を何回何十回と読んでしまっているので、脳で勝手にシーンの補足をする。
その為原作未読の層が感じた違和感を、浮かびはしてもピンポイントで否定するほど言及が出来ない。
尚、これまた割りとソースが曖昧な事を言うが、原作未読組でも「舞台を観る事が日常化している人」はここにひっかからない人が多い様に感じた。



そして満足している層について考えていると、概ねだが「キャストが推しな人」「原作好きな人」「舞台好きな人」の中で更に「考察が好きな人」が入るのかなと思った。
例え原作を知っていても知らなくても、キャストの情報があってもなくても、「与えられた情報から与えられていない部分を考える事が楽しい人たち」が、この舞台の中毒になっている気がした。
全てを与えられる訳ではなくて、与えられた物からあーでもないこーでもないと考える。
考えては吐き出し、そして別の意見を吸収し、また考える。今まさに私がやっている事。
そういう「コミュニケーション」や「反芻」をして、再度原作の素晴らしさや魅力、自分の愛に気がつく。原作を読んだ事が無い人間は、思わず原作に手を伸ばす。


「舞台を観る事が日常化している人」や「原作が好きな人」や「キャストが好きな人」が世界観の再現されたひとつの“舞台作品”として満足している。
これってまさに2.5次元舞台の客層向けなんじゃないのかなと思ったのだけど、でもこれは決して2.5次元舞台ではない。不思議だ。


圧縮ではなく、組み替えの必要性

デスミュ脚本担当のアイヴァン・メンチェル氏の「ストーリーを追うだけのミュージカルにしてしまったのではつまらないでしょう。」という言葉が素晴らしかった。
今、私が2.5次元舞台や原作もの舞台に対して感じる「物足りなさ」はそういう事なんじゃないかと思った。


原作で何年何十年と続けられていた作品を、沢山のキャラクターの情報を、舞台という短い時間に収めなければいけない場合、全ての情報を押し付けてしまうと、客の頭はパンクしてしまう。
原作ファンがこのシーンを生で観たかった!という気持ちの感動は痛いほどわかる。なのでまるで全て漫画から飛び出した様な再現は大変にありがたい。
しかし少し引きで観てみると、それはどこかダイジェストのヒーローショーの様にも見えて、“舞台作品”として考えた時には物足りなく感じる事が多い。
2次元の世界を2次元(2.5次元)の世界に再現するのと、2次元の世界を3次元の世界に再現するのはこんなにも違うのかと思った。


原作の要素を100とした際に、与えられる上演時間が2時間や3時間と決まっているのであればそこに100をつめることはまず出来ない。
故にまったく同じセリフを喋ってまったく同じ行動を取っても、100は収めきれず、“舞台作品”としてだけ観たときに、そのキャラの魅力全ては伝えられないのではないだろうか。
ダイジェストでまとめた場合、原作やキャラクターを知っている身からすればそのセリフや行動の整合性はとれる。
しかし「初めて舞台でコンテンツに触れる人間」にそのキャラクターの魅力を伝えるには、きっと情報が足りなくなる。


それならば何が必要かというと、原作というパズルのピースを全て把握した上で、ピースの形を変えて組み替える必要があると私は思う。
原作でこのセリフがあるからそのセリフを使おう!ではなく、原作でこういう行動をとってこういう言葉を発していたから、こういうセリフを言うんじゃないかな?みたいな考えが欲しい。
つまるところ“絶対的再現”ではなく“作り手の解釈”が観たいのだ。
そしてその解釈を、また新しく色んな人と共有して、更に解釈していく。そういう事がしたい。


勿論そうなると「原作をなぞったもの」ではなく「新しい二次創作」になってしまうので、解釈が合わない人間であれば辛いものあるのかもしれない。
しかしデスミュは現状私が知りえる情報は概ね網羅されているだろうという位熱心に探求されていて「きちんと組み直した」事に作品への愛とリスペクトを感じる。
まあこれは結果論なので、きっとその解釈が大幅にずれていたら、怒っていた所もあるのだろうけども。

「舞台の情報≠非公式設定」という割り切り


これは、舞台を観る側も、作る側も、演じる側もしなければいけない事だと思う。


DEATH NOTEという作品は何より原作は原作、メディアミックスはメディアミックス。という割り切りを原作者二人が強く主張している。
公式のコンテンツではあるが、DEATH NOTEという作品本来の正解は原作だけ。どんなにメディアミックスされても原作の設定がブレることはない。
そう言い切り、原作という芯があるのが、まず原作ファンからすると一個の安心に変わる。


「舞台キャストの行動や発言」「オリジナルストーリーの展開」これらの存在が「公式化」してしまう事を、原作ファンは恐れている。
なので必死にアンケートに「○○くんはこんな事言わない」だとか「このストーリーはおかしい」という事を書きなぐる。
けれど、最初から「これは原作をリスペクトした個人の創作物です!」と言い切ってくれることで、そこで自分の解釈と違う事が言われたり行われたりしたとして、怒りを覚える事はあっても「公式化」の恐怖はなくなる。


オリジナルがドン!とそこに揺るがずいてくれれば、間違いなくそれは絶対的存在で、メディアミックスにおいて「それは違うんじゃ?」と思う部分があっても「そういう考え方もあるのか!」とラフに思えてくる。
私は間違いなく、前述の通りにオリジナルを作った人間以外の解釈や設定が公式化してしまうのが苦手である。それがどんなメディアミックスにおいてもだ。
メディアミックス内の設定や行動が逆輸入される事も多々あるが、実はそれに大してもびくびくしてしまう。多分それは作り手側も同じ事を思っているフシはきっとあって。
しかし、双方がそれに怯えてただただ原作のビジュアルとセリフをなぞるだけの舞台を観ていても、私はもう満足が出来ないんだろうなと思った。


だからどうか原作という神の場所にいる人間は、そのまま揺らがずにいてほしい。
そしてメディアミックスに携わる人達は「そのままでいなければ」と思う事を一旦忘れて、自分の中で解釈をしてほしい。
堂々と胸をはって、「これは自分達の解釈です!」としていてほしい。
その結果、自分が素敵だと思ったら観にいく、駄目だと思ったら行かない。それ位の距離が、いいのかもしれない。


結局はそのコンテンツに何を求めるかの違いも大きいと思うし、昨今の色んな手法を用いた「2.5次元舞台」のエンターテイメント性の高さには驚かされる事がある。
ただなんとなく、今回の様に思い切って組み換えをした“舞台作品”単体として楽しめるコンテンツも、もう少し増えてもいいんじゃないかなと、ぼんやり思った。



テニミュも今は3rdシーズンが始まったばかりなので、今からは路線変更が難しいとは思うのだが「まるでまったく同じように再演」する訳でもなく、「既存コンテンツを更に短縮化して焼き増し」するのであれば、いっそのこと「0から脚本を組みなおす」事にもいつかチャレンジしてみて欲しい。
意見はきっと割れると思うが、私が今“テニミュを観ている”という満足度が、今度“舞台作品を観ている”満足度に変わる気がする。
伝言ゲームをしている内に、答えが変わって行ってしまうのもまたひとつの醍醐味だと思うが、あえてまっさらな所から別のものを作ってみるのも、きっと楽しいと思う。


【追記】
テニミュに対しての記述は、この話題においての比較対象にした訳ではなく、余談的に自分が好きなコンテンツに対して『これから何年先もこのコンテンツが続くとしたら』という前提の上で
「こんなこともやってくれたら」「そういう風なテニミュも観てみたい」「それを観た時に私は何を思うのか」位のニュアンスで記載しました。
今までの公演および現行公演を否定する意や、何が正解かを論じる気は無いこと、ご了承ください。