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夢は座席で安楽死。

観る→考える→想う→書く。

【デスミュ】幾千万の最期を考え

デスミュ 【※】ネタバレ

※本編のネタバレ含みます。



デスミュの記事をなんかもう随分書いて、会場にも何度も足を運び、ここはこうかな?と考えてもう一度観る。みたいなことを繰り返していたらやっと頭が落ち着いてきた。
お陰様で当初私がやりたかった「誰かとこの舞台について語る」事も出来ていて、充実した毎日な気がする。


改めて2階席から俯瞰で観ていて、この舞台の何がそんなに私にとって凄かったのか考えてみたところ、ラストシーンの解釈がいくらでも出来る事かなと思った。
いや、勿論他にも沢山要素はあるんだけれども、今日はその話。


噛み合わない二つの「勝ち」

このミュージカルでは割と「明確に語られていない」部分が多く存在している。余白がとても多い。
けれどその余白はデッドスペースな訳ではなくて、いわゆる考察厨と呼ばれる私の頭を刺激するのに素晴らしい余白だ。
正義がどうこうの話と、Lの最期のセリフの話はそれぞれ既にしてあるのでそこは省略するとして、「勝ちってなんだろう」って改めて思った。


今回のミュージカルは、最後の最後まで月の正義とLの正義が噛み合わない。
月はあくまでも「自分を邪魔する者を消したら勝ち」と思っている所がある。なのでLとの勝負は月の中では月が勝ちだ。
しかしLはどちらかというと論破というか思想の上でねじ伏せないと意味がないと思っている。なので月との勝負はLの中ではLは負けていない。
そんな風にそもそも2人の「勝利」の解釈というか、判定ラインが異なっているので、この二人の戦いは永久に双方が勝者であり敗者になり続けている。
そういう解釈は舞台ならではのものだと思うので「ああこういうの観たかったな」という私の心を満たした。
自分がどんなにLが好きでも、何故かLに完勝して欲しいと思わないのは、関係性厨をこじらせているからなんだろうと思う。
月とLにはどこまでも「対等」でいて欲しい。その気持ちが強すぎる。


可能性のキーポイント

◆レムがノートに名前を書いてからどれだけの時間があったのか
◆どこからどこまでが月のシナリオなのか
◆それをLはどこまで読んでいてどれだけの手を打っているのか
◆あの後「夜神月」という存在はどう扱われたのか

大きく挙げるとこの辺りだろうか。


パッと見だと、夜神月の物語として語られているので、あの後に何が起きているのか私達は知ることが出来ない。
なので惨めにLが負けていった様に取れなくもないが、その後どうなったなんて解らないのだ。
これが語られていないのが堪らない。いくらでも私達が解釈できて、観た人間の数だけ答えがあると思った。
観た人間の視点が変われば、勝者も正義もなにもかもが変わる。
どちらが正しいという決め付けを作品側が提示してこないのが、私としては素晴らしかった。


月は「自分が完璧に操ってLが大黒ふ頭に来た」と思ってるから、観ている私達もそう思う。
けどふいに「実はLは予めそこまで読んで自らの意思でも大黒ふ頭に行こうとしていた」説を仮定していたら、とても楽しかった。
読んでいたつもりが読まれていた、読まれているフリをしているが読んでいた。
Lの言動のどこからどこまでが「自分のシナリオに沿ってない足掻き」なのか解るのは唯一月だけで、
逆に月がどこからどこまで「自分のシナリオに沿ってると思い込んでるか」を知ってるのはLだけ。
最後の二人の手の内を多く語らず、観ている人間の解釈に委ねる。


個人的な意見だと、流石にLが何かしらの手を打ってあるとは思ってるので、「噛ませ犬」という立ち位置だとは私は微塵も考えなかった。
いずれにせよあの大黒ふ頭でのやり取りの後にキラの裁きが止まるというのは明確なので、何も手を打っていなくてもぼんやりと浮かぶものはあるだろうし…と思いながらも、しかしそれもエンディングで語られる事はない。なので結局判断は私達に委ねられる。
「答えが出されていない」けれど、同時に「答えを好きに考えていい権利」も与えられている。
10人が観たら10通りの、100万人が観たら100万通りの答えが存在する作品って、素敵だと思ったし、それらを全部聞いて回ってみたいと思ってしまった。


そしてその答えは全部正解で、全部正解ではない。
この白黒つかないまどろっこしさを嫌う人間はいるだろうが、私はその余白にぐいぐいと引き寄せられる。
今までのメディアミックスを含めた比較表を一番最初は作っていたのだが、もうなんか「どれも正解だ!!!」みたいな気持ちにさせられたので、それぞれとの対比は意味がなさそうなのでやめる事にした。それくらい満足している。
電源を入れられたらすぐ見れるテレビと、2000円ちょっとで全国どこでもやってる映画と、13000円払って決められた日程しかやっていない舞台を同じものさしではかっても何の意味も無い。


私は本当に頭が偏屈かつ天邪鬼なので「これが正解です」と言われてしまうと反発したくなるし、多数決的に正解を決めるのはまったくもって好きではない。
だからこのシーンの解釈についても私はこうは思うけど、と発信しているけど別にそれが「皆の正解」だとは微塵も思っていない。
それはラストに限らず、私が語っているシーンに限らず、そもそもこの舞台に限らず。
だからこうやっていくらでも好きなだけ考えていいですよ~という題材を与えられて、自分の考えがあって、色んな人の考えがあって、はしゃいで喜んで、ここまでハマっている気がする。


観ている人たちがそれぞれの正解を見つける事ができたその瞬間、その人のデスミュは完成するのじゃないかなと思った。


余談

考察とかそういう話では無くていちオタク的な話。
今回のラストシーンにおいて単純にビジュアルが好きだと思った。


「今目の前にいるLを殺害することのみを考え、自分の勝利を確信している月」
「今目の前にいる月がキラであるという事のみを考え、自分の勝利(推理面)を確信しているL」
その二人が並んでいる。そしてLの死ぬ間際たった一人でLの横にいて、会話をし、拳銃を持ったLの手に自らの手をそえる。
そして自分の完全勝利を確信した瞬間、自らもその隣に横たわる事となる月。……というのはあまりにも儚すぎる描写だと思った。


演出の栗山民也氏がこのシーンの事を「お互いに天才と認め合ったある種の友情を表したシーン」と仰っていたようで(トークショーの浦井くんの発言より)
「ヤツの中へ」からのここの導線が本当に堪らないし、この世界での彼らの友情と正義と戦いはこの形が完成系なんだろうなと思わされるとやっぱり涙が止まらない。
そんな風に「二人の世界」のまま幕が降りたのが、私は心底嬉しくて堪らなかった。
誰の介入も無いまま、二人の勝負が二人の物として終わりを迎えたという、その形が私はとっても嬉しかったし、納得したし、こんな形を見るのを待っていたんだろうなと。


これは本当に趣味の問題だから、とにかく「私は大好きだ」と言って回ることしか出来ないので、とりあえず言って回っている。
多分私の胸が高まるとか苦しいとか儚いとか尊いとかそういう言語レベルを超えて、何かあのシーンにはとんでもない熱量を毎回感じている。あれは一体、なんなんだろう。