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夢は座席で安楽死。

観る→考える→想う→書く。

【ひとりごと】無邪気な君達に憧れて

ひとりごと

突然だけれど、最近の若手俳優は「狙ってる」子達が多い。
そして私は、その「狙ってる」やり取りをみているのに、少し疲れてきた。


「男の子同士の仲良し」に対して、テンションがあがる層としては、そういう売り方を覚えさせてしまった事、求めてしまった事に対しての罪悪感はある。
けれど私が求めているのはそういう事じゃないんだ、と進化したSNSでの彼らのやり取りをチェックして常日頃思う。


「イケメン市場」は大分広がった。世の中には色んなイケメンがいて、色んな売り方をしている。
日々別のフィールドでオタクを頑張ってる友達に聞いては「最近は接触イベントでそんな事までするの!?」と驚いてばかりいる。
「若手俳優」というジャンルにくくっただけでも、色んな売り方がある。とりあえず焦点はその辺に合わせて喋る。


「若手俳優」がキャラもの舞台に立てば、当たり前に「キャラを演じた人」という肩書きがつく。オリジナルの舞台だとしても、そう。
キャラとキャラとの関係性が好きな女子達は、中の人である彼らにもそういう関係性を求めはじめる。
何気ない日常のやり取りから、一緒に撮った写真から、ちょっとした言葉尻から。自分達に都合の良い部分を切り取り、そこを消化してテンションをあげる。
それは決して悪い事ではないし、自分だってそういうものにテンションを上げて都合の良いトリミングを行う事はあるから、供給自体はとてもありがたい。


けれどそれの供給があまりにも「わざとらしい物」になってしまうと、天邪鬼な私は途端に食傷気味になる。
今の彼らは、「オタク女子」に優しすぎる。
消費者目線で発信してくれる子達が、多くなりすぎたように感じる。
次から次へと量産されていく若手俳優の世界の中で、そういう売り方で生き残っていく事は大事だし、知恵のひとつだ。


例えば「タバコを吸わない」「お酒を飲まない」「女の共演者と絡まない」。
そんなもう一つの自分を彼らは作り上げ、発信していく。
まるで彼らの世界には最初から男の子しかいなかったみたいな、そんな幻想を見せてくれる。
だから、突然「人間的」な行動を取り、夢を壊した際に、徹底的に叩かれる。
お前達は綺麗なものでなければならないのに、どうしてくれるんだ!と咎められる。
そしてそれが怖いから、彼らは今日も「男の子しかいない世界」の住人を演じ続ける。


それはまあ別に構わないのだが、私は割りと「狙ってる」所だとか「頑張ってくれてる」所を見て、何かを察してしまい、どっと疲れてしまう。
彼らは私達に夢を見させてくれているけれど、私達と同じ人間で、同じ人間だからこそ、憧れてどきどきするものがある。
背伸びをして大人ぶる10代~20代前半の「イケメン若手俳優」の作り物感よりも、20代後半とか30代以降の、自分のキャラが確立した若手俳優(という表記でいいのかな)の俗物感のほうが、私は好きで、ときめいてしまう事が多くなった。


男の子と女の子がいる世界の中にある、「男の子の世界」に夢を見ていたい。というべきか。
女の子の顔色を伺って、無意識に行動を制限してしまって「仲良し」を作っている彼らより、こちらの事など気にせず、好きに話して好きに笑う彼らを見ていたいのだ。


これは決して男尊女卑とかそういう意味ではないのだけど。
元来男女がいる世界の中での、女子にはわかり得ない「男の友情」に憧れる女子たちは、蚊帳の外にほっぽられてそれを見るからこそ羨ましく思う。
なので「男の子しかいない世界」を作ってくれる必要は、まったくない。
好きにお酒を飲んで、美味しい物を食べて、楽しそうに笑って、そしてそれをたまに私達にそっと教えてくれたらいい。
私達のことなんて考えてくれなくていいのだ。自分達が楽しくしていてくれたら、それを見ているのが一番幸せなのだ。欲しいものは「違和感」ではなく「自然体」である。


勿論、だからといって何でも見せればいいというわけでもない。
現状の若手俳優界で生き残ることがとてつもなく大変なのは解ってるし、純粋な仲良しこよししてるだけじゃダメなのは勿論承知の上である。
でも結局のところ自分が好きな人間が素直に楽しそうにしてる姿が一番素敵だし、ファンが見たいのはそこな気もする。
都合の良い解釈は、与えられた素材から勝手にするものなので、調理してこちらに提供してくれなくて構わないのだ。
調理して提供されてしまうと、好き嫌いが出てしまう。私がほしいのって、こういうものじゃないんだよね。と。そして食傷気味になる。
「見られてはいけない部分を見せない事」は大事で、けれど「見せる部分を作る事」までしてくれなくていい。最初からそこに現実としてある物の中から「見せていい部分」をちょっとだけ見せて欲しいのだ。
見せる為に、新しく何かを作り上げてくれる必要は、まったく無い。


そういう事に縛られなくなるのは大体27才位過ぎてからなのかなあと思う。(ざっくりな数字)
それもまあ大体の目安でしかないので、結局のところ実年齢は関係なくて、彼らにはいくつになっても男の子らしくあってほしい。
年齢が若い子ほど、背伸びをして自分を作って「無邪気さ」や「少年らしさ」が感じられなくなっていて
「年齢の若さ」を売りにしていない年の人達の方がよっぽど純粋に少年らしく「男の子」でいてくれる気がする。
そしてついつい、その無邪気でまっすぐな楽しそうな姿に、作り物じゃない「シンプルな少年性」が欲しい私はふっと惹かれてしまう。


だからどうか、皆難しい事を考えずに、にこにこ笑って楽しくしてくれていればいいのよ。
君たちが毎日楽しく過ごしていて、なんとなくご飯を食べてる姿とか、ふざけてる姿とか、そういう時の笑顔とかに、どきっとするのだから。
無理に世界を作り上げなければ、完璧にしすぎなければ、ちょっとヤンチャをしてしまっても、多少は目をつぶれるし。
あと、写真撮る時は、加工しなくても十分素敵だよ。
綺麗に見せなくていいから、ただ楽しそうに笑ってる加工してない君たちの顔は、それだけで綺麗だよ。


と、なんとなく思ってしまう、ここ最近の私である。