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夢は座席で安楽死。

観る→考える→想う→書く。

【舞台】孤島の鬼

孤島の鬼

2015年4月22日~5月4日
@赤坂RED/THEATER

http://www.nelke.co.jp/stage/kotou/


折角GWなので何か観よう~と思っていたら友人に勧められたので、赤坂にふらっと。
基本的に「好きそう」と言われると逆に身構えてしまうのだけど、今回5人位に言われたからよっぽどなんだろうなと思ったら本当に好きだった。友人たちは私の事を良くわかっていた。


2時間20分の長丁場なのでお尻が痛くなったのと、この時期は難しいのかもしれないけど劇場がちょっと寒かった。
それ以外は満足して帰ってきたので適当に思ったことさくっとメモ。

舞台全体について

小さい箱はどうしても大道具を沢山いれられないのだが、逆にそれが好きで、今回はセットと照明がとっても綺麗だった。
研究室の棚の中の液体漬けの小道具たちにライトが当たると琥珀色に光るのがなんとも。
箱やテーブル等を色んな物に見立てるのが個人的に好きなので、久々にそんな舞台が観れたかも。
確かこのシリーズは『少年探偵団』を観たのだけど、その時も妙にリアルな人形が凄い怖かった印象があって、今日も怖くて直視するのをためらってしまった。
あの人形は本当になんなんだろう、凄い怖い。
白を基調とする衣装も統一感があり、でもどこか歪で幻想的な感じ。
衣装を見ていたらホルモンが食べたくなったといったら友人に「わかる」と言われた。後日食べに行きたい。


崎山つばさくんはお友達を何度か観た事があるので気になっていたのだけど、「傍観する役」がとても良かったので、是非次回また別の演技も観て見たい。白髪がとても似合っていて綺麗。
藤森陽太くんは「綺麗」という印象。元StudioLifeと聞いて納得。「悪意の無い無関心」の無邪気さが怖かった。トークショーの切り返しはお見事。
そしてダントツで鯨井康介くんが良かった。良かったというか、ある種恐怖すら覚える。
立ち振る舞いが綺麗でゾッとしてしまうし、一心不乱な「愛」の表現が痛々しくて堪らない。
同世代の男の子に対してあそこまで「愛してる」という演技が出来るのって凄いなと呆けてしまった。
他のキャスト方もバランスも人数も良くて、箱のバランスに丁度ぴったり来る感じかな。出番のバランスも個人的には好きでした。

話について

蓑浦このくそやろう」と思いながらずっと観ていた。
感想も何もなんかその一言でいいんじゃないのって位には蓑浦が許しがたかった。
二人一役で物語の中にいる蓑浦(藤森くん)と、それを蚊帳の外から見てる他人事の私(崎山くん)が二人いるのはとっても面白くて、しかしそれ故に「傍観してる私」が余計に腹正しくてならなかった。
でもこれって私が女子だから(というかオタクだから)諸戸(鯨井くん)に肩いれしちゃうのかな~とも思ったりして、他の方の感想はどんななんだろう。
諸戸に感情移入して「こんなに愛してる人の気持ちを踏みにじって酷い」という風に思っていたのだけど、逆に考えれば「愛があれば何をしていいのか」という話にもなるので、別の意見が気になる。


「不幸というものを段々解ってきたような気がする」という様なくだりで、結局不幸って言うのは幸せな人がいるから存在する概念だよなと。
綺麗な人がいるから汚い人がいる。足りている人がいるから足りない人がいる。幸せな人の世界を見るから、自分が不幸だと自覚してしまう。
でも外にいる人だって皆「足りない人」でしょ、というセリフもあったがまさにその通りだと思う。
結局の所綺麗な人間(と自称する人たち)が、汚かったり足りない人間を排除する。
それは綺麗な人間からすれば当たり前の行動なのかもしれないけれど、それをされた側は酷く苦しみ、傷つき、結果鬼へとなっていく。
鬼なんて結局人のせいにしたい綺麗な人間の都合で作り上げた「排除」であって、その綺麗な人間が気がつかない内に無意識にやっている「排除」こそが、鬼そのものだよなあと思った。凄く苦しかった。
無自覚で、無意識で、何も悪い事なんてしていないつもりでへらへらと笑ってすごしている。それがどれだけの事なのか、知りもしない。
蓑浦も諸戸も、他の誰もかもが、親世代からのカルマを背負って、無自覚で生きていく。自分の罪に気がつかないのは、一番の恐怖だ。


諸戸の「否定されても愛する罪」と蓑浦の「与えられた愛を跳ね除ける罪」はどっちの方が重いのかな。きっとどっちもかな。
結局この二人は互いで互いを縛りつけあっていたのだよなと思うと胸が苦しかった。
諸戸は傷つくと解っていながらも蓑浦から離れる事は出来なかったし、蓑浦は蓑浦で自分が都合の良い様に諸戸と一緒にいて思わせぶりな行動を取る。
二人とも、ずるいなあと思った。
諸戸のやり方はいちいち「好きだから」を免罪符にしている様な所があって、それはそれで歪な愛の形だし、だからって許されない事は沢山ある。
でも諸戸の愛が余りにもまっすぐだったので、私は蓑浦に対して悪態をつく事しか出来ない。
多分、蓑浦が諸戸の事を一度も「自分と対等な人間」としてみていなかったのが、気に食わないんだと思う。
終盤、諸戸に迫られて本気で拒んだ時に、やっときちんと向き合った!と嬉しくなった。
「好きでいる事を許して欲しい」という諸戸に対して、それが嫌悪でも憎悪でも拒否でもいいから、蓑浦にはきちんと諸戸に向き合って欲しかった。それが出来ていれば、何かが変わっていたのかもしれない。
この病院に彼を招くつもりだったのに、と言っている蓑浦はどこまで酷い人なんだろうと思った。頼むから、跳ね除けてやってくれ。諸戸を縛り付けないでやってくれ。と思ったけれど
諸戸は諸戸で跳ね除けられない立場に甘んじて被害者面をしていた所はあるし、どっちもどっちというか。二人とも因果応報という所なのかも。
結局の所、皆「足りない人」であって、勝手に優劣をつけて他人を排除したり見下していい人間なんて、一人もいないんだろうな。


個人的に「君がいないと生きていけない」と言う諸戸の世界から、蓑浦は蓑浦自身の手で自分を奪ってしまう描写が辛かった。
世界の中心にいるのは間違いなく自分なのに、どこまでも他人の話をしている蓑浦は本当に悲しい人だ。
それはお前の話なんだよ!きちんと向き合えよ!!!と殴りかかりにいきたかった。
ラストの蓑浦の叫びだけが、諸戸を救うものかなと思った。けれど原作ではその描写も無かったと聞いたので、私は原作を読んだら多分ページを破く。
(原作では施術の執刀医が諸戸という描写があるようで、とんでもなくエグいなと思った)
舞台においての蓑浦があの手紙を読む事で何かに気がつく事が出来たのならば、きっと諸戸も幸せなんじゃないかな。


あと「君」という二人称の破壊力はやっぱり凄い。
「~~かしら」とか「~~なのでしょう」みたいな言い回しも文学作品独特なものなので是非色んな子たちに言ってもらいたい!と思いながら暫く反芻していた。


余談

観終わった後に友人と冗談で「私達はオタクだから諸戸に感情移入しちゃうのかも」と話していて。


諸戸「嫌わないでいてくれたまえ!貢ぎだけはさせてくれたまえ!好きでいる事を許してくれたまえ!」
蓑浦「プレゼントを貢いでくれたり、全通してくれた事は感謝してるよ。でも君が僕に向けるその視線だけは…」


とかなんとか言ってたら死ぬほど辛くなって余計に蓑浦の事が憎くなったけど、とはいえ「好きだから」って同推しのファン潰そうとしてくるファンもそれはそれで厄介だしなあみたいな事を言っていた。
つまりやっぱりどっちもどっちなのかなっていう結論。