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夢は座席で安楽死。

観る→考える→想う→書く。

【舞台】恐るべき子どもたち

舞台 【※】ネタバレ

恐るべき子どもたち

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2015年6月26日~28日
@カメリアホール

http://artistjapan.co.jp/%E6%81%90%E3%82%8B%E3%81%B9%E3%81%8D%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%9F%E3%81%A1/


悩んでたら魅力的な感想ツイートを拝見して、その場で行くことに決定。
予定が無いのを良いことに妙にフットワーク軽めの6月。
2015年上半期ラスト観劇は、亀有と間違えそうなカメリアホール。
うまく言葉がでてこなくて、下書きのまま放置してしまった。

舞台そのものについて

アーティストジャパンの舞台はたぶん初めて…のはず。
先に観に行った友人に「暗いよ」と言われて会場に行ったが、全体的に本当に暗かった。(照明じゃなくて内容の話)
でもその暗さが心地よいというか、なんというか、ピアノの音と相まって居心地がよい。
出演者がたった5人で、ピアノの生の伴奏と共に繰り広げられる世界観は、まさにあそこが「子供部屋」なのかなとすら思わされる、閉鎖空間だった。
あそこが「子供部屋」のようだったから、1時間も経たない内に休憩時間になってしまって現実にほっぽられるのは、逆に辛さを覚えたのだけれど、あれがもし2時間地続きだったら終わった後それはそれは疲弊していたと思うから、あのテンポでよかったのかな。


文学作品を「音」にして「芝居」にした時の、あの耳障りのよさって、なんなんだろう。
女の子が発する「あんた」とか、男の子が発する「きみ」とか、回りくどい言い回しとか、表現とか。
そういうの音のひとつひとつが、ぞくぞくして、たまらない。
現代の日本の日常会話じゃ絶対に使わないような言い回しとか、単語とか、聴きなれない言葉がたくさんあって、静かなホールに響くピアノの音があって、それらがすべて混ざって、ひとつの「闇」を作ってたのが、なんか怖かったけどやっぱり心地がよかった。


下北舞台とか、文学作品あるあるなんだけど「おかしい」ばかりが充満した世界の中にいる「普通」は、その世界の中では逆に狂気になる。
いたって普通の思考を持ち合わせて、言葉にして発しているだけなのに、それが「そんなのおかしいよ」って否定される世界観そのものが狂気でしかない。
普通であることで、物語の蚊帳の外に出された……というよりかは、ジェラール自ら望んで外にでたのかなと思った。
ジェラールは自分がどうしたってポールやエリザベートと同じ世界にいる事が出来ないとわかっていて
だからこそ自らその世界を遠ざけて、一人で先に大人になってしまったのかと思うと、ずるくて、かわいそうで、切ない。


そして年齢は大人になれど、子供のままのポールとエリザベートの恐ろしさったらない。
「純粋は狂気」みたいなことをよく言うのだけれど、まさにそれで。
だからこそこのタイトルがしっくりくるのだなと改めて思った。
二人はいつまでたっても大人になんてなれなくて、なりたくもなくて、子供のまま「子供部屋」で生きていて。そしてそんな子供の純粋さが、何よりも怖くて堪らなかった。
多分舞台では気持ちライトに二人の関係性が書かれていたのかなと思うのだけど、それでもここ二人の共依存っぷりは、背筋がぞくぞくきた。


何が「悪い」のか、何が「いけないこと」なのか、関係ない。
だって私たちは子供だもん。この子供部屋から出ないから、私たちがルールだもん。
だから勝手に入ってくる大人は締め出すしかないでしょ。
といわんばかりに、最後まで子供であることを貫いた二人が、二人よりも先に大人になってしまったジェラールとアガートを世界の外に追いやって二人だけでずっと「子供部屋」にいるあの姿は、とても綺麗だった。


作中のコンテンポラリーダンスが!という話を各所から聞いていたので忘れないようにしよう~と思っていたけれど、忘れるも何も普通に衝撃的だったので未だに頭の中でぐるぐるしている。
コンテンポラリーダンスという表現がもう大分概念の域に来てるんだけど、結局コンテンポラリーダンスってなんなんだ!みたいな気持ちになっている。
3箇所くらいから「ラジオ体操」という単語を聞いて、ああラジオ体操だと思った私の脳みそは間違ってなかったんだなとほっとした。

キャストの立ち位置もあわせて


キャストというか、7代目黄金の二人について。
近くに二人を好きな人はいるけど、自分は偏った知識しか無いような奴の適当な感想。


テニスが終わってから、何回か山本くんの方は見る機会があったのだけれど、黒羽くんはそんなにみれてないのかな。
山本くんは、テニスの時は結構演技の仕方に賛否の否の声あげてる人も見かけて、確かに少し芝居っぽさが強いんだろうな~と思っていたのだけれど、こういう小さい箱の文学作品をやらせるとこんなにぴったりくるのか~!と何か妙に納得していた。


それにしても今までテニスが終わってからこんなに色々凄いと思った黄金はこの二人が始めてかもしれない。
むしろテニスが終わって、キャラが抜けたからこそより親交が深まった部分があるのかな~と勝手に思った。
山本くんが「闇」で、黒羽くんが「光」みたいなニュアンスで語られてる…というか本人たちも言っているのだけれど、言葉そのままの意味ではないよな~と私は思っていて。
黒羽くんってどこか大人になりきれない部分というか、大人でいようとするあまり背伸びしてちょっと考えすぎてしまっている部分があるというか。
逆に山本くんは闇キャラということでひとつ突き抜けてるからこそ、安定して突き抜けていられる安心感みたいなのがある。
なんというかその凸凹のお互いいびつな感じが、うまいこと合致して、よいバランスになってるのかな~という印象。
黒羽くんは自分は大人だと思い込んでるけどどこか大人になりきれてない所があって、山本くんは大人であるからこそ突き抜けているところがある。
その関係性が逆転して描かれつつも、どこか葛藤する黒羽くんのジェラールと、自分の道を進む山本くんのポールはすごいしっくりきてたかもしれない。
この二人が今この作品をやって、観に行けたのは、とてもよかったなあと改めて。


別に黄金だったからセット売りしてほしい!という訳ではないのだけど、割と芝居の相性が良い気はするので
お互いがお互いに甘えない程度の距離感で共演したらその度にいろんな変化が見れて楽しそう~とは思う。
黒羽くんは、それこそ外で「光」になってる時だと、光でいる事に対して少し肩に力が入ってる印象を見受けるのだけれど、山本くんの「闇」と一緒にいることで、光の裏には闇があっていいんだ~みたいな空気感になるから見てて気楽なのかもしれない。
「セット売り」って言ってしまったら確かにそれまでなんだけど、別に媚びて欲しいわけではなく。
お互いが色んな世界を見てきて、色んな役をやってきて、それでたまに一緒に芝居をしたら見てるこっちも心地よい~みたいなのがいいのかなとぼんやり思った。
また何かやるときは観に行こうとおもう。