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夢は座席で安楽死。

観る→考える→想う→書く。

【舞台】ペール・ギュント

ペール・ギュント

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2015年7月11日~20日
@KAAT神奈川芸術劇場 ホール

http://www.pg2015.jp/


4月に観に行った「海の夫人」がイプセンだったので、2015年2度目のイプセン
「いかに生き、いかに死んでいくべきか」というコピーがすばらしすぎる。
KAATのことをずっと「けーえーえーてぃー」と読んでいたのだけど、「カート」なのを今回はじめて知った。
(これは明らかに私の情報弱者ぶりがアウトという話である)

舞台全体について

ありがたいことにめちゃくちゃ前方の席だったので眼福だったのだが、それと同時に世界にのめりこみすぎてわりと色々死に掛かる事態に。「美しさの暴力過ぎる…」とぶつくさ言っていた。
ビジュアルという意味での美しさもあるし、精神状態というか儚さとか刹那さ的な美しさとか、歯がゆさみたいなものもあって、緊張感と疲労感で心地がよいみたいな謎の空間だった。


打ちっぱなしコンクリート的なセットで、幕がない状態からのスタート。
BGMも何もかかっていない劇場。気がつくと舞台の上に一人ずつ役者が現れて、段々と照明が暗くなり、気がつくともうそこは劇場ではなく「ペール・ギュント」の世界観になっている。
この始まり方、宮元亜門演出の「金閣寺」でも凄い好きだったんだけど、やっぱりとても好きだと思った。
現代の話ではないのに、どこか現代めいてる演出が多くて、それもよい。
スガダイローさん率いる生演奏チームのジャズなのだけれど嵐のような音楽がずっと耳の傍を弾丸のようにかすめていく。
ファミマの来店音が仕組まれていたかと思えば、組曲ペール・ギュントの「朝」のアレンジが使われていたりと遊び心も忘れない音楽の演出。
更には楽器がセットの一部に組み込まれていて、何より演奏をしていて役者ではない彼らが、最初から最後まで手術着を着ている。
唯一現実と物語を結びつけ、世界が切り替わる際に激しく演奏をする彼らが、最初から最後まで「ここがどこか」を知らしめていたのはずるいな~と感じた。


白井晃さんの演出自体は実は初体験で、色々と感動を覚えた。
抽象的だったり、どこかファンタジーめいている表現が多い中に、ダイレクトに言葉を投げかけてきたりするシーンもあれば、物語の主軸をきちっと通して、とても解りやすい印象だった。
作中よく出てくるビニールが、演出技法としてああいう風に使えるのか~と普通に驚き、最終的にそのビニールがあらわすものの正体を知って更に驚いた。
絶対もっと解ったら「うわー!」となる仕掛けが沢山あるのだろうけれど、流石に1回だけでは拾い切れなかったので残念。
池があるのは面白かったし、大道具を組み替えずに世界を変えていくのも物凄い自分好みだった。
2幕で世界が砂漠に変わるので砂をまくのだけれど、あれどうやって片付けるのかな…と思ったら最後までその砂達もステージ上にいて、中々大胆だった。


イプセンといえば、4月に観た「海の夫人」も同じイプセンだったのだけれど、
今回のペール・ギュントが1867年の作品、海の夫人が1888年の作品で、21年という期間が開いている。
イプセンが39歳の時に書いた「ペール・ギュント」を白井晃演出で、60歳の時に書いた「海の夫人」を宮田慶子演出で観た結果、こんなにも印象が変わるものなんだ!と勉強になった。
海の夫人はとにかくゆっくりでやわらかい印象だったのだが、今回のペールは物凄く鋭利でスピード感を感じた。けれど確かに根っこにあるのは同じイプセンという人だよなあ~と思ったりなんだり。
私は演劇が好きだなんだといってる割に、あくまでも趣味としての感覚的な「好き」が強く、きちんと歴史や作品について学んできたわけではないので、たまにこういうキッカケがあると物凄い学んだ気持ちになる。

物語について

テーマは「自分さがし」。それ以上でも以下でもない。だから実は物凄い解りやすい話だと思う。
ペールだけペールのまま物語が進んでいき、他の役者は場面と共にころころと兼ね役で姿も形も名前も変えていく。
けれど彼らの「与えられた役目」は変わらないのかなという印象だった。
何役にもなれるペール以外の俳優は、それぞれの役だけれどそうでもなくて、そういう「何にでもなれるけど誰でもない」感を俳優が演じているという構造自体がこの舞台そのものだなという感覚。


「幸せの青い鳥」理論と同じで、色んなものを探しに行かなくても幸せは確かに目の前に存在する。
だからこの話を観ていて「いや最初からそこにあったじゃん!」と思ってしまいがちなのかな~と思うのだけれど、多分そういう事ではなくて、結局そこにあるものが幸せかどうかというのは、色んな姿になって色んな世界を見てみて初めてわかるものであり。ペールが「自分らしさ」を求めて、自分じゃないものになる事によってはじめて「自分らしさ」が解るというか。
たまねぎの中身を求めてむき続けても確かに何も残らないかもしれない。
けれど自分が皮だと思い込んでいた、その重ねてきた部分含めてすべてがたまねぎでしょ、と。ペールの人生もそれと同じなのではないかな。
この物語において大事なのは「結果」なんじゃなくて、ふらふら色んな女の所にいったり、色んな世界に飛び立ったり、妄言をはいたりする、ペールの生き方そのものが大事なんだよなという。
だから結果的には物凄く簡単な話なんだけど、その肯定を見つめて、そこに何を思うかというのが重要なんだろうなと。
「答えを探す物語」というよりかは、まあ最初から「答えはそこにある物語」だし。


そしてそこまでして生きたペールのラストですら、結局これは少しの間生きる時間を与えられた命が見た夢なのではという、ある種残酷なオチにもみえるけれど、それが本当に残酷なのか、彼が幸せだったのかどうか、彼は自分らしく生きられたのか。
そういう事は全部わかりっこないし、何よりそれすらもペールの夢だったのでは、とすら思わせるあの演出は中々にズルいものがあった。
ラストについてはそもそもこの物語を読み解くにあたり色々な解釈が出てるみたいで、勉強不足に定評がある私としては、とかく劇場で受け取ったものをこうしてアウトプットしているだけなのだが、悲しい話ではないと思う。


「そんな記憶は悪魔に食われろ、女はみんな悪魔にさらわれちまえ」
というセリフがめちゃくちゃ好きでたまらない。
今後何かで都合の悪いことがおきたら「そんな記憶は悪魔に食われろ」を多用したいと思う。

キャストと役について

歴代ジャニーズ至上もっとも好きな顔をしている内博貴くん。
舞台の上にいる人しか好きになれない病気役者部門において相当末期を極めている橋本淳くん。
その病気にわりとつっこんでる荒木健太朗くんに、各所でお馴染みの加藤和樹くん。
と、まあなんていうか私の脳内CPUがぶっ壊れても仕方がないかなと思っていた。壊す気満々で劇場にいったので悔いはない。
ただやっぱり1幕しばらくの間脳がクラッシュしてしまっていてかなり危なかった。
ちょっと脳みそがクラッシュしたので、とりあえず名前を挙げてる4人だけざっとなのだけど、女性陣も男性陣もとてもすばらしかった。


内くんに対する印象は読んで字のごとくまあそういう訳で、とんでもなくビジュアルが好みである。
顔だけ見てる訳ではなく、内担の友人が身近にいたのでなんだかんだ彼の頑張りはよく耳にしてたし、普通に曲も好きでコンサートとかも行っていた。が、舞台でお芝居を観るのははじめてかも。
やっぱり内くんは全体の作りというか立ち振る舞いが綺麗過ぎて、そこに目が行ってしまう。
それって凄いことなのだけれど、若い青年を演じてるのか、それとも元々この人はこういう人なのかが一瞬わからなくなる。
ただ今回の物語だと年老いていくさまが描かれており、若くてかっこいい青年役だけではないので「あっやっぱり上手いのね」となった。
内くんの舞台は暗いのが多いかもという印象をあらかじめ聞いていたのだが、確かになんかこの空気感は似合うものがあると思う。


加藤和樹くんは、色んな世界の中にいる「加藤和樹がやる役」感がとても強くてよいなと思った。
多分橋本くんと役のアウトプットの仕方が魔逆。だけれど若手男性陣としては彼ら2人がペールの周りにいて、取り巻く相対する2つの何かなのかな~とか思うと面白かった。
ペールの隙をついて、色々な姿かたちになって彼を手招きしたり、突き放したり。ペールのキッカケ担当かなという印象。
鍛冶屋はお前ペールのこと大好き芸人か!?とちょっと思ってしまった。何かとペールとの距離が近い印象で色んな意味でヒヤヒヤだったのだが、美しさはすべての免罪符だなと思った。
2幕冒頭でバンドにまざってギターを弾いてる瞬間は思わずドキッとした。


荒木くんは元々Studio Lifeの看板俳優(兼手芸部)で、最近は若手舞台にも結構出てるな~というイメージ。
若手界隈の舞台にいるとなぜかちょっといじられキャラというか面白系統になってしまう事があり、まあ別にそれで何か私に問題があるかというと無いのだけれど、こういうピリっとした空気感の中にいる荒木くんの、少し不安定な感じが人間らしくて落ち着くので、好きかもしれない。
どういう役どころをやるかとか番手とかはそりゃーもう本人の気持ち次第なのでどっちが良いというのをこちらで決める事ではないので、ただの個人の感想として。
トロルの森で義足をつけて歩いていたのだが、「義足をつけて歩いている」という事がしっくりくるというのは、凄いことだよなあと思ってぼんやり見てしまった。
兵役を逃れる為に指を落とし、最後に事故で命を落とす役どころも、どこまでも自分の欲に忠実な感じというか、物語の中の不安定さとか、人間らしさは、彼が魅せていたところあるのかな。


そんでもって橋本くんは相変わらずのカメレオン俳優ぶりというか、今回美味しいところをちょっとずつつまめた感があって大変によかった。
ペール・ギュント」の物語の中にいる橋本淳みたいな瞬間もあり、1幕冒頭が新国立劇場でやる彼の役どころのような、少し頼りなくてふがいない青年。トロルの森ではファンシーな「人でないもの」感あふれる歩き方。
2幕冒頭の神経質だけど賢いお高く止まってる感じから、モブだけどどこかいけ好かない青年だったり、人間味のあるコックだったり…と。
なにより2幕後半の「自分のことを羽ペンだと言い張る青年」がたまらなかった。
自分は羽ペンだからナイフで研がれないと…といいながら自分の首にナイフを当て、そのままスッと引く瞬間を間近で見たらかなりの勢いで背筋が凍った。
結構ここのシーンの描写がえぐかったのでヒー!とか思って思わず目を逸らしてしまった。
いや、でも、本当にあの橋本くんが観られて良かったので、各方面にありがとうございますという感じ。
パンフレットに記載されていて、演出の白井さんいわく「ペールに悲観的な想いをぶつける役」だそうで、まさにそれそれというか。
役どころとしても「それ」だし、白井さんの橋本くんの使い方に関しても「それ」という感じだった。


あと、加藤和樹くんと橋本淳くんの対談がかわいくて面白かったから自分用にメモっておきたい。
この2人、全然別ベクトルな感じするのに普通に仲良いのとてもかわいい。enterstage.jp


なんというか一度に色んな情報が脳みそに来すぎて訳がわからなくなっている所はあるのだが、本当に綺麗な世界観だったし、見にいけてよかった。
多分ちゃんと知識がある人がこのブログを読んだら「こいつわかってねーな」とか「知らないんだな」という事が色々露見してしまう感は強いのだが、論文を提出している訳ではないので別にまあ自分の思ったことを書いておけばいいかと開き直った。
ここ最近観るものが大概言葉でレポートしてどうという話じゃなくて「世界観を体感しに行って欲しい」系のものが多いので、神奈川公演は明後日までだけれど、色んな人が観てくれたらいいなあという気持ち。
観劇で受けた感動って、どうしたって言葉じゃ説明が聞かないし、体感してもらうのが1番早い。まあ劇場に足を運ぶまでが大変なのだけれども。

あとKAATは遠いというのを次回からきちんと覚えた上でスケジュールを組もうと思う。これは今回最大の学習である。