夢は座席で安楽死。

観る→考える→想う→書く。

【舞台】墓場、女子高生

墓場、女子高生

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2015年7月17日~26日
東京芸術劇場 シアターイース

http://vol4.bedandmakings.com/


ベッド&メイキングス第4回公演、作品としては第1回の再演(キャストは異なる)にあたる。
何の因果か第1回公演から毎回毎回観に行こうとしては何かしらのトラブルで観劇にいけていなかったので、本当に嬉しい。
千秋楽間際の滑り込みだったけれど、とてもとても嬉しかったし、観終わった後の充実感はひとしおだった。

感想つらつら

物語は学校近くの墓場でのワンシチュエーション。
同じグループの中の一人の少女の自殺によって、変わるものと変わらないものを色々表現している。
ワンシチュエーションなのだけれども同じ世界で「生きている人」と「この世のものではない人」の世界があり、更には墓石のあるなしで「生きていた世界」と「死んでしまった後の世界」があり、物凄く舞台上を上手く使ってるな~とうなずきながら観ていた。
テンポがよくぽんぽんと話が進んでいき、リズムがとてもよかった。


最初のほう、暗転の時間がが少し長くて多い気になったのだけれど、結局最後まで見終わると、完全に照明を落としての暗転(過去と現在を行き来する)効果と、薄暗い暗転(時間の経過)を使い分けていて、完全に照明が落ちた時のダブルミーニング的な、言葉遊びはとても面白かったし
物理的に「日野の墓をどけなければいけない」という事に対して、じゃあ暗転しちゃいましょう!と思い切った感じで、それすらも効果的にするのは凄いなあと思った。
あと、絶対にこれ演出じゃないと思うのだけれど、終始天井からラップ音的な何かが鳴ってたのはあれは一体なんだったのだろうか…。ちょっと怖い(笑)


舞台を観て、思うことというか考えることは沢山あったんだけれど、何かを言葉にしようとすると上手く説明できない。
多分この「言葉に出来ないけど感じたもの」という奴が、今日観劇して得たものなんだろうな~と思うので、どこかでしっくりはまるものがくればいいのだけれど。
女子高生の、今しかないこの瞬間と、変わっていくもの、変わりたくないもの、それを取り巻く人と自称、子供と大人。
そういったものがぎゅっとつまった2時間で、不謹慎満載ながらも、最後には涙を流すようなそんな作品だった。
本当に実際にこういう女子高生いるよね!というリアルさが、そういう女子高生生活を送ってこなかった私にとってはどこまでも非現実的で。
突然死人が生き返ってしまう非現実さに対する全員のリアクションの方が、よっぽどリアルに感じたのが、なんか面白かった。


物語の内容については本当に断片的にぽろぽろっと書くだけなのだけれど。
日野はいつもどこか一歩先を見据えていて、歩いていて、近くにいても皆を少し残して先に行ってしまう感じの子で。
それがいざ「手の届かない世界」に一歩先に行ってしまった時に、残された者たちは三者三様十人十色で色んな事を考える。
こんなものはもう忘れた方がいいと墓を壊そうとする者、何かしらの罪償いなのか墓の前で食事を取る者、生き返らせようと必死になる者、口をつぐむことで考えないようにする者。
作中で歌われる「Red River Valley」の歌詞の解釈が、複数存在すると日野は言った。
色んな翻訳があって、それぞれは全然違うのだけれど、でもどれも正しいのだよ、と告げるその言葉が、後に彼女の死に対しての他の人間の行動に対しての言葉でもあるようで、なんともいえない気持ちになる。


残された人間達は皆、自分を理由にして、日野の死に対して自らを加害者にして被害者にしたがる。
自分がこんなに酷いことをしてしまったから日野は死んでしまった、だから自分は恨まれてしかるべきだ。と自分を追い詰める。
それに対して当の日野はというと、「思い出せば笑えるようなこともあるけれど、死ぬ理由になるほど仲良くはないよ」と全員を突き放す。
そして「私が死ぬ理由には、もっと汚くてもっとどうしようもない事だから」と言って、本当の事は決して口を開こうとしない。
何があったのだろう、と気になるところだけれど、それを伝えたがらないという事が日野のある種子供らしいところなのかなとも思った。


「この世は腐ってる、あまりに腐っていて自分が汚くなってしまったのでは」という錯覚。
高校生くらいが考える漠然とした言葉に出来ない将来への不安。
色めきだつ周りと、恋ってそういう事なのかなという違和感。
大人になりたくない、目をそらしていたい、勘違いしていたい、真実を知りたくない。そんなこの年頃特有の、あれとかこれとか。
それをすべてかき消すコーラス部の綺麗過ぎる歌声が、あまりにも綺麗で、切なかった。


「もっと良いほうに勘違いをして、もっと綺麗な理由を定義して」
そういう日野に対して、涙ぐみながら日野が命を絶った理由を述べる女子達、そしてそれを耳にしながら同じように涙を流す日野。
その姿があまりにも綺麗で、辛かった。
けれど、死ぬという事は肉体が滅びるという事ではなくて、この作品のもう1つ大事な部分の「死ぬとは、消えるとはなんだろう」というところが、彼女達を救っている気がする。
「忘れちゃったら死んだも同然」というその言葉。皆が忘れてしまったら、本当に日野は死んでしまう。
けれどあの中の1人でも忘れなければ、日野は日野としてそこにあり続けるんだろうなあ。
もっとなんかこんなチープな感想じゃなくて色々思うことがあるのに、感情がまったく言葉にならず、お手上げ。まあその感情がまさに観劇ならではだよなあとは思う。


ざっくり書いたけれど、1番大きい部分として言葉選びが秀逸すぎて。よくこんな言葉が出てくるな~とか、こんな辛い言い回しをさせるな~とかそんな驚きの連続。
色々インパクトがあったので書き留めておければ…と思ったのだけれど観るほうに集中してしまってわりとぼやぼやとしか覚えられていない。
今回の脚本も含めた脚本集も販売があったのだけれど、それももう売り切れになってしまっていてとてもショックだった。
再販の予定はないという事なので、どこかで文字で読める機会があればよいな~。

その他ぱらぱら

キャストが本当によかった。
初演とまったくキャストが違う、というだけで「今しか出来ない」というものを強く感じたし、二度と同じものはないのだろうなあと。
お目当てとしては柿喰う客の葉丸ちゃんを観に行ったのだけれど、髪の毛がサラサラでうらやましくなった。
葉丸ちゃんって何かとかわいくないキャラとかブスキャラにされるんだけど、めちゃくちゃかわいいと思うのだが、なんでなんだろう。
自分がまったく愛嬌がないので、葉丸ちゃんのあの愛嬌のあるころころと表情が変わる姿に、とってもあこがれる。かわいい。
楽日前日だったので柿喰う客宣伝セットはもうなくなってしまっていたのが残念だった。チラシほしかったー!まあこれも縁ということで。


あとは日野役の清水葉月ちゃんの圧倒的存在感と独特な台詞回しがたまらなかった。
来年観劇に行こうと思っている二兎社の公演に出演されるとのことなので、楽しみ。
そしてねもしゅーこと根本宗子さん演じる西川の、あの日野に対して何もかもふっきれない感じが辛くて、悲しくて、切なかった。
西川が日野に抱いている感情とか、あの2人の独特の関係性が、これって決して恋愛じゃないのだけれど、女子高生の中の何か特別な感情だよなと思って。
憧れに近い、ある種の恋みたいなものなのかな。だからこの2人の回想シーンは、とてもどきどきした。


あと、演じることと作ることを両方出来る人ってやっぱり作るのが上手いと思う。
いや、なんというか小難しい話ではなくてやっぱり演出、脚本をやりながらも俳優として動ける人は凄いなあという話。
勿論いずれかに特化している人で物凄い才能を持ってる人は沢山たくさんいるし、スキルの話ではなくて
単純に自分が演じる側をやっていたり、やっていたことがあった人は、作品を作る時に演じる側の動きが良くわかるから、という話を良く聞く。
それが足を引っ張ってしまうことも勿論あるだろうけれど、最近観ている人たちはそんな事なくて、それが良い方向に作用しててとても良いなあと思った。
今回だと富岡さんはそうだし、ゲストの根本さんもそう。
この人は俳優、この人は脚本家、演出家、この人は一般のお客さんって決め付けて線引いてってしないほうが、創造の幅は広がるよな~というぼんやりした話だった。


色んなセリフも、他のキャストももう皆みんなよくて、また時間をかけてゆっくり語りたい気持ち。
あとは「舞台をみる」という事の感覚について色々考えてしまったので、またこれは後日にでも改めて書けたら。