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夢は座席で安楽死。

観る→考える→想う→書く。

【舞台】城山羊の会「水仙の花 narcissus」

城山羊の会「水仙の花 narcissus」

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@三鷹市芸術文化センター星のホール
2015年12月4日~13日

http://shiroyaginokai.com/


「最近あまりにも演劇を観てなさすぎるから準備運動に城山羊を」と夏ぶりの星のホール。
準備運動が既にハーフマラソンくらいだけど大丈夫か?と心配しつつも2時間あっという間なほどの理不尽の殴打で帰りに食べたご飯も美味しくて満足。
やっぱり演劇もお芝居も大好きだと思った、もっと体がほしい。

舞台について

妻・仙子の四十九日を行っていたタカシ(吹越満)の家に運び込まれた、道に倒れていた映子(松本まりか)が目がさめるところから静かに物語がはじまる。
娘の百子(安藤輪子)、仙子の姉夫妻(島田桃依・岩谷健司)、百子のボーイフレンド中村(重岡漠)、映子の兄と名乗る男・舟木(金子岳憲)、謎のコンサルタントの男・高崎馬(岡部たかし)というような登場人物たちが、理不尽かつ不器用な時間の流れを過ごしていく。そんな物語。

「城山羊の会ってなんでこんなに理不尽なんだろう。理不尽というか、非現実的でありながらとても現実的というか、そのアンバランス感がすっごい気持ち悪くて大好き。」そんな事を度々言っている気がする。
いわゆる「作品のストーリーがどうこう」というタイプの芝居ではなくて、このなんともいえないもやもやした気持ちを抱えるために、自分の後頭部を鈍器で殴ってもらうために、目から鱗を落とすために観に行ってる気がする。
なので感じたこととかをぶつくさ書いていこうと思う。

相変わらず、城山羊の舞台ははじまる瞬間がよくわからない。さっきまで現実だったのに気がついたら舞台の世界になっている。
今回は現実から物語への入り込み方がとても面白かった。私は城山羊を星のホールで観るのは初めてなのだけれど、きっと以前行った公演から観ていたらもっと面白くて、もっと現実と非現実の切り替えに気持ち悪さを感じたのかもしれない。
最近よく「第四の壁」の話をしているのだけれど、城山羊はまさに作品上演5分前から第四の壁をじわじわ構築し始めていて、気がついたら出来上がっいてた第四の壁に守られた作品を見つめている、そんな気持ちになる。

さらに出てくる登場人物たちが、本当になんとも生きるのが不器用というかどこかヘタクソというか。
やっぱり観ていて「だれとも友達になりたくない」とはっきり思わされる。
「出来ればこういうタイプの人たちとは関わらずに生きたい」と思うのだけれど、それは真っ向からの拒絶というよりかは、本当に同族嫌悪に近い。
完璧な同族というよりかは「似たような種類だけど違う方向に不器用」というか。
もうちょっとタイミングよく動けるよね?今じゃなかったよね?ここをもう少しこうしてたら幸せになれたよね?そこ、どうして不器用になっちゃう?ああ!もう!!……というような、普段の自分の不器用さを見せつけられている様な気持ちになる。
今回の登場人物の誰とも自分は似ていないのだけれど、なんとなく今の自分を後ろから見せつけられている様な気持ちになった。それが刺さって痛い。
そういうところまで全部不器用で「物語の世界なんだからもっとうまくやりなよ!!」って思ってしまうくらいに、残酷なまでに現実的だ。
なのにやっぱり舞台上で起きていることはとても非現実的で、そのアンバランスさとミックス加減が中毒になる。


タイトルに「narcissus」という単語が用いられているので、自己愛をもっとぐいぐい押し込んでくる舞台なのかと思っていたのだけれど、相当にいびつで歪んだ形の愛が沢山あった。
どれもわからない、いや、わからなくないが私はちがう、みたいなそういう愛の形。
でもどの愛の形も、結局物凄くわがままで、独りよがりで、自分勝手で、めぐりめぐってそれが自己愛になるのだとしたら、なんて歪んでいて、つらい愛ばかりなんだろう、でもそんな風に愛せる人がいるのは幸せで、結局それって最高の「自己愛」なんじゃないかな、と思った。
もしかして「誰かを愛すること」は究極の自己愛なのかもなあ。

ハタから見ていると、どう見ても狂った世界と狂った人達だと思うのに、でも一歩踏み込んでみると「あれ?これってわりと普通じゃない?」というような気持ちにさせられる。
おかしいなって思うことも、変だなって思うこともたくさんあるけれど、それがまかり通ってる今の世の中とあんまり変わらない、こんなことはどこにでもあって、でも自分が見てる世界と少しバランスが違うから「おかしい」と感じてしまう。
でもそのバランスが少し元に戻ってきたら、私もきっとこんななんだろうなあ~だからこれは変だけど普通なんだろうな~みたいな。普通って、変って、なんだろう。という気持ちになった。

ちょっと舞台の話とはそれるのだけれど。
大多数と同じであることが「普通」で、そうでない人が「変」とされるこの世界の中で、「変」な人が多数存在していたとき、その「変」の方向がそれぞれ別を向いているとこういう世界が出来上がるから、苦しいけど居心地は良さそうだなと凄い感じた。
何かと言うと、そもそも「変」と称される少数派が、その「変」の中でまた小さなグループや徒党を作る。
そしてさらにその中から少数派の「変」をあぶり出す儀式が私は嫌いだ。嫌いと言うか、得意じゃない。
本来自分は「あぶりだされる側」だったはずなのに、何かに憧れで「あぶりだす側」になってしまうその世界は、「普通の中の変をあぶり出す儀式」より怖いなあと常日頃感じてる私からしたら、全員別の方向を向いてる「変」が溢れてるこの世界は、なんて羨ましい世界なんだろうと思った。
城山羊の物語の中に私が入れたら、私はきっと沢山あるなかの「変」の中のたった一人でしかなくて、そしてそれが「普通」になるんだろうなと、久々に舞台の上に少し憧れを抱いた。
でも、やっぱり登場人物の誰とも友達にはなりたくない。

舞台美術とかの話

やっぱり少し変形の舞台の形状だった。なんとなく半円形、みたいな。
舞台の上には大きなソファと、椅子がいくつか。タカシの家の大きな部屋の一室の中で、あれやこれやそれや、色んな愛の形がぶつかり合う。
こんな狭い空間のなかに、こんな色んな種類の愛を詰め込んだら、壊れちゃうんじゃないのかなって思った。

そして部屋の中には物語のタイトルに用いられている水仙の花が常に舞台上に存在している。
物語の中で時間はどんどん進んでいるのに、その水仙の花だけは変わらずに咲いているのが不気味で、非現実的だった。
更に暗転した時に水仙のところにだけライトが当たっているのか、それとも蓄光の何かが含まれているのかわからないけれど、暗闇の中でぼんやりと光っている一輪の花がとてつもなく綺麗だった。

キャストの話

城山羊の物語に出てくる女性はどうにもこうにもこんなに上品で性的なんだろうと頭を抱える。
「綺麗な性的象徴」みたいな役どころ、今回は松本まりかちゃんが行っていたのだけれど、本当に綺麗で美しくてびっくりした。
一緒に観ていた友人とも「下品!エロい!とかではなくてなんかこう”えっち”っていう言葉が似合う」と話していて、まさにそんな感じ。
チャーミング?グラマラス?うーん、言葉選びが難しい。「男女ともに目を惹く」という象徴、すごい恐怖で、すごい綺麗。
まりかちゃんを以前観たのは、蒼穹のファフナーの舞台の時やもう少し人間味のない役を観ていた気がするので、こんなに人間的で現実的でかつセクシャルな役どころが見られてびっくりした。とてもかわいかった。

相対して百子役の安藤輪子さんは本当に「純潔」さを感じさせる。なんだろう、アイアンメイデンみたいな感じ。
大人びて、おませで、背伸びをしているのだけれど、誰にも触れられないような、触ったら汚れてしまうような存在。儚くて強い女の子だった。
今回、城山羊の作品の中ではじめて「ちょっとだけ歩み寄れる」存在だったかもしれない。
私は別にファザコンではないんだけれど「ママと私、どっちが好き?」と繰り返す百子の姿も、映子に対して全身からにじみ出る嫉妬のオーラも、「パパにキスしないで」と怒鳴る姿も、見ていてつらかった。彼女の愛が、痛かった。

あとは吹越さんがびっくりするほどかっこ良くてびっくりした。語彙力不足を感じる。
吹越さんはそれこそ今度ちゃんと感想を書こうとしている「お江戸のキャンディー」で見ていて、その時はコミカルな役どころだったし、ご本人がいらっしゃるイベントなどでも面白い方だったので、こんなに愛にまっすぐになって盲目で、弱くて、愛の為に壊れてしまう、というとても現実的な人の役を観たらどきどきしてしまった。
「耽美」「綺麗な色気」の世界の中で、彼はとっても「セクシーさ」を感じた。なんだろう大人の余裕なのかな。
大人の余裕の色気を撒き散らしながら、一番余裕がなくてガラスよりも壊れやすい心を持ってる姿は、なんだかとても人間らしくて好きだった。

今回終盤から登場の高崎馬役、岡部さん。なんだろう、よくわからないんだけれど彼のテンポがたまらなく好きだ。
声のトーンとか、喋る速度とか、イントネーションとか、あとなんとなく「そこにいない」ような存在感とか。
「トロワグロ」の時もすごく目を惹くなあ~と思っていたのだけれど、今回も出てきた瞬間にすっと視線を持っていかれた。
あまりにも冷たくて、あまりにも心ないような、まっすぐで固いセリフ回しに今回もやられてしまった。


なんだろう、そんな所かな。
自分の語彙力の低下が否めないのだけれど、感想を書かないともっともっと低下していってしまうのでとりあえず。
すごい理不尽な気持ちになるために行って、すごく理不尽な気持ちになって、すごくすっきりして帰ってこれた。堪らなく脳みそに栄養が入った感じ。
もっといっぱいお芝居みたい、演劇に触れたい、本当にお芝居を観る事で生きてるなあと改めて思えたそんな良い12月第1週だった。