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夢は座席で安楽死。

観る→考える→想う→書く。

【舞台】高学歴娼婦と一行のボードレール

【※】ネタバレ 舞台

高学歴娼婦と一行のボードレール

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@こまばアゴラ劇場
2015年12月10日~17日

http://nekohote.com/kougakureki_baudelaire/

平日19時に駒場東大前は間に合うのか!?いや、間に合わせよう!ということで猫のホテル本公演。
いつもそういう理由でこまばアゴラの舞台は諦めてしまう事が多いのだけれど、2015年終了間際に下北→渋谷→駒場をキメられたのは大変よかった。
トリプルキャストで3通りある今回、平田敦子さんの回の観劇。
今年観た舞台で一番良く協力欄で名前を見かけたのは「ゴーチ・ブラザーズ」だったかもしれない。

作品について

何か答えがある作品ではなくて、何かの感情をえぐられる作品の感想は大体ポエムみたいになる。からポエムみたいな感想。
脳みそのくすぐられた部分をばーって書き出す感じ。
この作品は今まで色んな形で磨き上げられてきたようなのだけれど、私は今回のこの日がこの作品と初対面だったので本当にただ受け取ったままのことだけを書く。正解はきっとない。

すっごいスタイリッシュでびっくりした。「え、本当に猫のホテル?」みたいな驚きっぷり。
実は前日に観劇した「小さなお茶会。」と日曜にハシゴをしようと思っていたのだが、なにか嫌な予感がして月曜夜にねじこんでおいて正解だった。ハシゴをしていたら今頃私の命はない。
2面で観られる形式の舞台は、チェスボードみたいな白黒の模様でびっしり埋め尽くされていた。
無造作におかれたラジカセから響くノイズ混じりの音楽が、開演前からすでに劇場を別の時空へと歪ませていた。

1997年に実際に起きた東電OL殺人事件を元に、千葉さんによりびっしりと埋められた行間。
作り手にも答えがわからない作品のずるさというか、なんだろう、どこまでも「正解」がないのってすごいし怖いなあと思った。
この事件に対して、猫のホテルの、千葉さんの解釈としてはこうだけど、本当の事件の真相は現実世界で誰にもわからない。どんなに求めても誰にも答えてもらえないの、苦しい。


昼間は東電のエリートOLとして働いていた女が、夜は食事もとらずふらふらと立ちんぼをして男に身を売る。
私は自分に価値をつけられるとしたらどれくらいなのだろう、私は自分に価値をつけられるとしたらどれくらいなんだろう、思わずそう考えずにはいられなかった。
こんなに頑張っているのに、こんなに一生懸命やってるのに、なのにお茶くみで入社してきた何もできない女達にバカにされて、男からは見下される。
この街での娼婦たちの相場は3万円、女が几帳面に手帳に記す自分の金額は2000円、4000円、3000円。それでも女は自分で金額を提示する、首を横に振られる。こんなに、こんなに、こんなに、こんなに頑張ってるのに。
私はエリートとは真逆を行く人生を歩んでいるので、誰かに自分の価値を決められるのなんてまっぴらごめんだし、自分で決めた相場以下のその価値に対して首を横に振られたら苦しくてつらくてそれだけで死んじゃう気がする。というよりそもそもそんな問答をしないんだと思う。


私はこの2015年に生きている大人だけれど、一応ぎりぎり「若者」と呼んでもらえるカテゴリーには分類されると思う、どうなんだ、多分そう。
何がいいたいかと言うと、私の世代にはインターネットとSNSがある。SNSという顔も知らない人達からの評価に対してびくびくしなければいけない、けれど現実世界の誰かに評価をされなくても画面の向こうの顔も知らない誰かが評価をしてくれたりする。
けれど、この作品の中の彼女は、そういう時代を生きていない。
逃げ道がなくて、自分が生きるべき世界で一生懸命必死に必死に頑張ってきたのに、報われない、評価されないってどんなに苦しいことなんだろうと考えてみたけれど、私には彼女の気持ちを理解することはどうしても出来なかった。私は逃げ道を知っているからだ。だから私には解らないまま、ただちくちくと胸が痛む感情だけが続いていく。

彼女を誰が悔やんでくれるのか、誰が追悼してくれるのか、線香をあげてくれるのか。地獄に落ちるべきなのは殺した男なのか、それとも殺せといった女なのか。
言わなければわからないのに、言わなければわからないのに。なんで言わないのかって、君に地獄に落ちてほしくないから。だったら僕が地獄に落ちるから。その一言で彼女は救われたのか、どうなのか。
けれど彼女は間違いなく、あの時のあの男にとっては救いであって癒しだった。そしてその事実が彼女を救った。少なからず、物語の中の彼女にとっては。
これはメリーバッドエンドなんだろうか、さまよえる、解決されなかったこの事件の彼女を救ったのは猫のホテルなのか……と、思わされるのだけれど、これは現実ではなくお芝居なのだ、それが究極にむごい。
更には彼女がそれを喜んでるのか、事実はどうなのか、それは誰にもわからない。

作中で繰り返し多用されるボードレールの詩の一説。「きみ」という二人称。「”詩”ってきみが言うとと死の方に聞こえる」。そんな耳障りのよい言葉のやり取り。居心地が良い言葉も、ウッと身構えてしまう言葉も沢山つまっていた。
2人1役と1人2役以上がぐるぐるとまわる。衣装は変わらないので頭の中で混乱がおきる。けれどその混乱を起こしているのは間違いなく「彼女」たった1人で。
2人1役も、1人複数役も大好きな私はそれだけでお腹がいっぱいになった。


終演後、頭がぼーっとしたままだった。
劇場から出て物語の舞台と同じ町並みを歩く。ノスタルジックな空気と冷たい冬の風に包まれた駒場東大前はまるで2015年の日本ではないみたいで、こわかった。
薄暗く光る電灯を見つめて、夜を舞う虫のように吸い寄せられそうになる。ここはどこだ。今はいつだ。
そんなことを考えながら踏切の近くをふらふらと歩いていると、目の前から手を繋いだ高校生のカップルが現れる。
恥ずかしそうに「じゃあね」といって手を振る2人をみていたら、間違いなくここは2015年の駒場東大前で、私はそこの地面に足をつけてたっていた。
現実に戻ってきた私は井の頭線に乗り込んだ。

「帰ってこれなかったらどうしようかと思った」私に言えるのは本当にそれだけ。深い言葉は出てこない。
圧倒的に耳障りのよい言葉たちの前に、私はどんな言葉を並べても太刀打ちできっこない。
1時間15分の短い、濃密なタイムトリップだった。

安定した空間で、こんなにも不安定な感情をえぐられて、たった3300円で良いのかとさらに不安になった帰路だった。そんなところ。