夢は座席で安楽死。

観る→考える→想う→書く。

【舞台】柿喰う客フェスティバル2016「フランダースの負け犬」

柿喰う客フェスティバル2016「フランダースの負け犬」

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@花まる学習会王子小劇場
2016年6月2日~6月26日

https://kaki-kuu-kyaku.com/

柿フェス4作品目は中屋敷さんが学生の頃に書き上げた戯曲「フランダースの負け犬」。柿+客演版を観るのははじめて…って思ったらそもそも柿で上演したのは過去に金沢で1度きりだそうでそりゃ~観たことがないはずだ。
2014年に矢崎広くんとの相思相愛ユニット「なかやざき」でシアターサンモールにて上演。それを観に行った時は丁度台風の日で、帰れなくなって近場の友人の家に泊めて貰った事は覚えている。
自分の洋服はびしょびしょだったけどパンフはいまだに傷ひとつついてない、流石。

2014年の感想

…を、今回の上演の前に読んでおこう!と思って探したら当時はブログとかやっていなかったので探すのに大分手間取ってしまった。が、無事発掘。

当時の自分は多分なんとなく「物足りなさ」を感じていたようで、その物足りなさは誰が悪いとかではなくて単に「中屋敷演出に慣れてるキャストと慣れてない人キャスト温度差」みたいなものに対するものだったのと、多分矢崎くんが中心に置かれて、矢崎くん!矢崎くん!ってなっている作品になっていた事によってちょっともったいなさを感じていたというか、もっと「皆が知らない矢崎広を出して欲しかったなあ」みたいな事を友人と言っていたようである。
他は圧倒的に稲葉さんちの友くんをべた褒めしており、友くん(ビューロウ)と平田くん(クルック)の関係性がうんたらかんたらとか言ってた何かが残っていた。

当時の自分が何を思ってこれを書いたのかはわからないんだけど「なかやざきの2人は最初はまず手をつなぐとかそういうところからはじめたらよかったのに、周りからお似合いだよ!って言われて凄い豪華な結婚式をしてしまった感じで、私は彼らが手をつなぐところから知りたかったかもしれない」みたいな事を言っていた。
何が言いたいかなんとなくわかるんだけど具体例を書き残しておけよ!って思って当時の自分にキレていたら「だから最初は2人芝居とか屋敷演出の朗読劇ないし1人芝居からはじめてもよかったんじゃ」って書いてあって、ああ、そう、そういう事思ってたわ、多分。
あと「屋敷作品は商業BLみたいな当たり前に男同士が付き合っている世界観より、普通の世界の中の”きみとぼく”の方が絶対いい」という一文を発見して、決して「フランダースの負け犬」はそういう話ではないんだけど、ニュアンスの話としてとりあえず当時の私は何かの解釈違いを起こしてたんだなあとよくわかった。

結論から言うとまったくなんの参考にもならなかったけれど「クルックとビューロウの関係性」がどうのという部分がキーだなと思って王子にいくことにする。

感想ぱらぱら

そもそも今回のクルックとビューロウって誰と誰だっけって思ったらクルックが玲央さんでビューロウが屋敷さんだった。堂考えても一発即死の奴じゃん!と開演して15分後くらいに気がついて案の定一発即死をしてきたので遠慮なく気持ち悪いおたくとしての感想を綴っておこうと思う。

観終わった直後の感想は「なんだこれすっごい好き」だった。自分でも正直びっくりした。なぜなら私の中では「フランダースの負け犬はあんまり得意ではない作品のはずで、だから観終わった後も満足はしているけどストーリー展開的にはちょっと何か歯切れの悪さを残して劇場を後にする予定」だったからであり、それが何故か結構マジで大泣きしていており、「アレッ、わたしこんなにこの話好きだった?」ってなってしまって混乱に混乱を重ねたまま北区から帰宅するとかいうくだらないジョークを思わず書いてしまうレベルには今頭の中が壊れている。
本来ならこの感想の文章も今このタイミングで書いてる余裕がないのだけれど、書かないと頭が爆発しそうなので書く、書かせてくれ頼む。

自分の中で「2014年版は得意ではなかったのに今回は大好き」という事について自分でも驚きが隠せていなくて、なのでどうしてこうなんだろう?という感情を解決するために、今現在リアルタイムで2014年版との差を考えていたりするのでひっかかる人にはひっかかる言葉選びをしてしまっている自信があるのでそこは最初にすいませんという謝罪と、「決して2014年版がダメだったわけではない」という事をきちんと記しておきたい。
2014年版もキャストはとっても豪華で、それぞれの技量も素晴らしくて、でも私の中では「何かが違った」。世の中でいう所の「解釈違い」だったんだと思う。つまらないんじゃなくて、悪かったんじゃなくて、よかったからこそ「私とは考え方が違うかな」というイメージだったものが、今回まったく同じ戯曲を用いてるのに「これやー!!!」となっていて、演劇って物凄く面白いなと思った。
何故なら、この作品を執筆したのは19歳の時の屋敷さんで、当時別に柿喰う客のために書いたわけでもなくて、2014年版・今回のフェス版も配役を決めて演出をつけたのは屋敷さんで、かつ初演から全部に出ているのは敬三さんだけ、という状況なのにこんなにも印象が変わるんだ!?という何かまた無限の可能性を見つけてしまったところだった。


人物の距離感と関係性+それぞれの役について
2014年に観たときは個人的にそういう感じじゃなかったのだけど、今回この柿!って感じの一体感(2014の一体感がなかった訳じゃないのだけど)というかリズム感が本当になんか音楽を聴いてるみたいで、脳に直接くる感情が気がついたら涙としてドァーッと出てくる感じだった。なんだったんだろうこれは。
ニュアンス的にいうと、2014年版はお寿司とカレーとラーメンとハンバーグの中から選べるお店で、今回はカレーの中から好きな味を選べるお店(それはカレー屋では)というニュアンスで伝わるんだろうか、微妙なラインだな。「いい意味での個性のバラつき」と「いい意味での個性の主張の薄さ」の差というかなんというか。
多分2014年版は個性が強くて情報量が多かった、し、それぞれのキャストのファンに対するアプローチの時間があってそこでのある種「情報過多」が否めないという話は友達と話していて出てきていて、今回はいい意味での「情報量の少なさ」というか、役者の個性は勿論強いのだけれど「柿喰う客です!」みたいなもうキャスト個々に対する情報はほぼシャットアウトしていて8人1チーム編成みたいになっていたのが心地よさというか頭に入ってきやすさがあったのかな?となんとなくぼんやり思っている。

後は個々のキャラクターに対する親近感がすごかった。なんだろう、全体的に「凄そう・近寄りがたい」感がちょっと落ちたというか、それこそ舞台の上で自分とは違う世界の人たちを見ている構造だったのが、なんかすごく身近で自分の近くにいそうな人たちが色んなものに抗ってる図、みたいな。それが私の趣味には合っていたのだと思う。繰り返すけれど、良し悪しではなくて好みの問題。
同役別キャスト比較大好きマンとしてはすぐ比較大喜利をはじめてしまうのだけれど、矢崎ヒュンケルが「1000人単位の学校の頂点に君臨する生徒会長ばりのカリスマ性とかっこよさ(絵に描いたみたいなイケメン)」なら、牧田ヒュンケルは「クラスのいい奴(ちょっとイケメン)」というちょっと身近な感じというか、かっこよさの距離感が近い。
宮下バラックが「すげーぶっとんでてなんか大分近づきづらいし友達になりたくない奴」なら、田中バラックは「別にそんなにヤバくはないんだけど出来たら関わりたくない奴」みたいな。
その他の役もそうなんだけど、なんだろう、人物のスケールが多分王子小劇場だった。
それでそのなんとなく「身近な感じ」がするヒュンケルとバラックのちょっと変わった友情というかなんというかそういう奴に完璧に当てられてしまった所がある。力関係も圧倒的にヒュンケル>バラックになっていて、それでもなんとなくヒュンケルはバラックに逆らえない~という瞬間が出てくるのが私は好きだな!?というか。

新劇団員の田中穂先くん、柿喰う客で一番身長が大きいのに、あんなに守ってあげたさがあるのずるすぎやしないか…という。大きいチワワみたいだった。一緒にいてあげないと死んじゃいそう感があるあの感じは中々にこう、とても好きなバラックだった、かわいい。
対する牧田くんも柿喰う客としてはデビュー戦。牧田くん自体は見慣れているはずなのに、なんだろう、柿のテンポに追いつく感じでいうと凄い「新劇団員!」という感じがして面白かった。これから牧田くんが柿でどういう立ち位置になっていくのかもっと楽しみになった。

新劇団員つながりでベーム役加藤ひろたかくん。の、飛び道具っぷりにびっくりした。あんなに劇場を微妙な空気にさせる天才いるんだろうか、顔、綺麗なのに、声も綺麗なのに、なんだろう、めちゃくちゃ面白くて中毒になりそう。柿はよくこんな新人を発掘してきたな…(全面的に褒めている)。
ピリッとした空気の中で彼のどこか俗世間感が強い感じが、物語に集中しすぎている私を現実にひゅんっと引き戻してくれる感じがしてとても助かった。多分彼がいないともっと重い感想になっていてそんなに何度も観れたものではなかったのではないだろうか。わからん。

大村クレーゼルのシリアスっぷりに「わたるさんがギャグパートをやらない?!」と驚くと同時に、私が今回一番泣かされてるのはこの人だと思う。そして永島ベルニウスの冷たさなのか、自分を守ってるのかわからない、いずれにせよ心のこもっていない言葉の方が銃弾よりも痛かった(さも自分が撃たれたみたいな言い方をしてしまった)。
ここ2人もある種相反する役どころとして出てきて、中堅2人をここに持ってきたのは素晴らしすぎると思った。会話のテンポがたまらなくいいし、片や感情しかこもってない男、片や感情こもってるのか不明な男。すっごい絶妙なバランスだった。大村永島コンビのこの陰陽感というか、HOT&COOLみたいな差も大変とっても好きなので、今回のベルニウスの行動に関しては何故か妙に肯定的になれたのが自分でも面白かった。
敬三さんのあの「輪に入れなかった時の絶妙な顔」と「すべてを見捨てた冷たい顔」がめちゃくちゃ好きなんだけど説明がしづらい、多分きっと伝わる。

そして今回唯一の客演、板橋ヘンチュ。いや~~~凄かった。後から登場、出番もそこまで多いわけではなくて、明確に「柿メンバー」と「客演」というわかりやすいまでの分けられ方をしているのにあの圧、あのインパクト、あの存在感。それでもって出しゃばらないスパイス感。
このヘンチュとは3時くらいに焼肉食べながらお酒飲みたいわ~胃もたれめっちゃしそうだけど~という感じ。そして言ってる事が軍人としてあまりにも正論すぎて、この人がここまで上り詰めるのは当たり前だわ、いや人として感情面がどうとかそういうのではなくて私も多分この人について行ってしまうわ、本物の天才だ…という圧倒的説得力があるのが凄かった。言葉の重みが違う。
柿のメンバーにナチュラルに溶け込んでるのに、少しの違和感を生じさせてるのもなんともいえなかった。今回なんで1人だけ客演を入れたんだろう?と疑問だったのだけれど、ヘンチュが駿谷さんで本当によかった、と、私は思っている。

お待たせしました、玉置クルックと中屋敷ビューロウ。
正直特にいう事はもうなかった。ただひたすらに劇場で観てくれと。そして「この2人なんかある」感を感じてくれと。そしてアフタートークで「この2人はなんかあったんですか」と聞かれて「付き合ってたのかね(by.玉置)」とか言われてしまうくらいのこの、なんだ、言語に出来ない「ちょっと良いから新作としてこの2人のスピンオフを書いてくれたら多分そこそこ劇場には通うと思う」感を1人でも多くの人に感じ取って貰ってただ「なんかある感ヤバイな」と語りたいだけの人生だった。
ちなみに別に私はクルックとビューロウに付き合っていて欲しいわけではないタイプの人類なので、そのアフタートークの時は大分面白くなってしまって笑ったのだけれど、つまるところ演者本人達も「なんかあるよね」感を持ちながら演じているこの感じ。「余白」を感じさせるこの感じ。
「大事なのは今、同コマにいる事」というようなこの感じ。本編で語られてないけど明らかになんかあるクルックとビューロウが同コマにいる~やばい~~!!って勝手にこっちで色々考えていいように特に明確な「何かあった」を教えてもらえないところまで含めて凄く好きでしたっていう事を、我ながらうわー気持ち悪いと思いながらこの文章を綴っている。
「いまさらキスシーン」で劇作家と演者としての中屋敷&玉置コンビの関係性を観ているので、この「フランダースの負け犬」で双方演者としての中屋敷&玉置コンビの関係性も観られるのはすっごいお得というかこんなこと滅多にないな、次はいつだろう、下手したらないかもしれないから今ちゃんと観ておかないと…みたいな謎の脅迫観念に襲われている。

と、そんなこんなで「それぞれの役同士の関係性」を考えるのも楽しいし、「それぞれの役」について考えるのも楽しい、夢厨も関係成厨もホイホイじゃん!とか思ってしまった。
なんだろう、決しておたく向けのストーリーではないし、そういうシーンもないし、狙ってる要素が1ミリもなくて、だからこそ肌で感じる何かがあるんじゃないのかなあみたいな。もう自分の脳が大分壊れてきてるので何を言っても説得力のかけらもない。
ここまで書いて「これまさに私が言ってた普通の世界の中の”きみとぼく”の図じゃねーか」と自分でキレた。

ちなみに、当初この作品は屋敷さんが19歳の時に高校の演劇部の後輩たちに「女子だけでやる作品」として書き下ろしたとのことで、なんかその話もあわせて自分の中でも凄く納得がいった気がした。
別に柿のメンバーも駿谷さんも女々しいわけではないというか真逆なのだけれど、この「フランダースの負け犬」という作品の中の登場人物のメンタル面の距離感が「軍人」という肩書きにしてはちょっと近すぎるんじゃと以前から思っていたので、別に全員が女子役という意味ではないのだけれど、演じ手が女性になる事でその違和感は無くなるのかなとも思った。
私の個人的趣味で「女の子が強くて、男の子が(メンタル面で)弱い世界」が好きなので、その辺の趣味というかニュアンスが合致してるのかな~と。ここでまたひとつ自分の中の謎が解けてスッキリしたので、アフタートークの存在ってば素晴らしい。


「救う」と「殺す」ということについて
大分脱線したけどちょっとだけ触れておきたい話。
「君にパトラッシュが○○るか?」というセリフと以前のキャッチについてものすごく真剣に考えてしまっている。
2014年版のキャッチが確か「君にパトラッシュが救えるか?」で、戯曲内で書かれているクルックのセリフは「君にパトラッシュが殺せるか?」というもの。
この話は多分2年前の自分もしていて、当時からなんやかんや言っていた気がする。というのも「殺す」の対義語は必ずしも「救う」ではないというか、人命救助的な救うならば確かにそうなんだけど、殺すことで救うこともあれば、殺さなかったからって救えてるとも限らない。今回のバラックはすごい救われてると私は思っていて。
今回は演出面で舞台のはじまり方と終わり方が変わっているのだけれど、そこがちょこっと違うだけで舞台全体の印象がガラッと変わっていて驚きだった。メリバ大好き民としては、今回のラストの演出と牧田ヒュンケルの表情に大満足だった。
「そうでしょ!」と押し付ける気はないのだけれど、今回のヒュンケルとバラックはどちらも救われていたのではないのかなと私は思う。そう、これが所謂メリーバッドエンドって奴だよね…胃がいたい、苦しい、死にそう、すごい好きだダメだこれ…。で、話が結局頭に戻って言語を失ってしまう。
つまるところ、受け取り方なんて十人十色だし、幸せだったかどうかなんて本人達が決めることだよねっていう。

結局のところ自分にとってのパトラッシュを殺せた人間は生きていけるけれど、自分とパトラッシュの関係性は死んでるというか。パトラッシュを救おうとした人間および救えた人間は自分ごと死んでるみたいな、なんかそういう皮肉さがたまらない。
でもこれで殺さずに救えてハッピーエンドだったら私は反吐が出るほどこの舞台を罵倒して「つまらなかった」と言っているレベルには、この終わり方で本当によかったと心から思いながらもなんで幸せになれなかったんだー!と騒ぐタイプのダメなメリバ大好き人類だった。


屋敷さん本人も話していたけどフランダースの負け犬が一番変態度低いし、確かにフェスの中で柿の事知らない人とか柿そんなに観ない人にどれか1本観せるならこれが取っつきやすいかもしれない!?ということを4作品みて(本当は先週へんてこレストランを観るはずだったのだけれど順番が変わってしまった)思った。
「サバンナの掟」と「いまさらキスシーン」からスタートしてしまったせいで脳が大分麻痺してしまっていたし、脳がすっかり変態に慣れてしまっていたけれど、「柿喰う客ちょっと気になるな」って思う人がいたら、この作品から見るのがハードルが低いような気がする!という事を折り返し地点の今言ってもすっごく遅い、とてつもなく遅い。
でも今のところ私のステマによって王子小劇場に行ってくれた組から「変態すぎて具合が悪くなった」という苦情は来ていないので多分大丈夫だと思う。