夢は座席で安楽死。

観る→考える→想う→書く。

【舞台】キンキーブーツ

キンキーブーツ

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2016年7月21日~8月6日
新国立劇場 中劇場
http://www.kinkyboots.jp/home/

小池徹平くんの次の舞台が決まったぞ~!えっ三浦春馬くんもいるの???ていうかこれむしろアミューズ領土の舞台では!?これは行くしかない~~!
と、思って初日のチケットだけ抑えて放置しまくっていたらあっという間に初日だった。
なんでこの舞台を新国立でやろうと思ったのかよくわからなくて、観終わった後もACTでやればいいのになあとかずっと言ってた。

感想ぱらぱら

兼ねてより自信があったのだが、私はどうやら「ハッピーなブロードウェイミュージカルの感想を述べる」という事に対しての才能を持ち合わせていないようだ。
「楽しかった」「華やかだった」「綺麗だった」「演出がすごい」みたいな小学生もびっくりみたいな単語の羅列しか出来ない自分に対してある種の感動を覚えたし、実はこの前週に見ている「ジャージー・ボーイズ」についても感想を書かないまま放置してしまった。
多分私は「ある程度の問題を投げかけられる」事を求めていて、かつその上で「自分なりの回答」を提示するのが好きなんだろうなと思っている。

後はもう一点、いわゆる「ブロードウェイミュージカル喋り」を聞くとちょっと面白くなってしまうんだと思う。あの独特のイントネーションとか、絶妙な倒置法とか、やたら二人称に「きみ」が出てきたりとかするあれ。あと語尾が「~~じゃないか!」とか「~~だったのよ。」みたいなあれ。
決して嫌いじゃないんだけど、やっぱり日本人が使わない喋り口調なので、日本人がそれを使っていると違和感がある。決してふざけてるわけではないし、馬鹿にしてるわけでもないんだけど、それを聞くと勝手に面白くなってしまう癖がついてしまってるんだろうなあ。
多分そこも「非日常」の世界観にするひとつのポイントであって、それが余計に「感情移入」という観点からするとどこか私を異世界に連れて行って、ただただぼんやりと「自分とは関係ない世界」で繰り広げられるあれとかこれとかを他人事のようにぼんやり見つめてるだけになってしまうので、こうやって他人事のような感想が生まれてしまうんだろうなと思った。いや、舞台は全部他人事なんだけど。

とはいえキンキーブーツはとても面白かった。ストーリーの脆さとかちょっとした矛盾とか「えっそれその後どうなったんだよ」とかそういう細々したどうでもいい事がどうでもよくなるくらいにパフォーマンスの完成度が高くて、何よりローラとエンジェルスの美しさと力強さが素晴らしくて、というかもう衣装が!本当に!すばらしい!!素敵過ぎる!!!!
私は元々「男性の女装」を見るのが好きで、というのも男性のあの無駄な脂肪がない筋肉で引き締まった体に、かわいらしい衣装を身に付けるというそのミスマッチな行為がある種の芸術品に見えるというような思考の持ち主なので、「似合ってしまう女装」や「かわいい女装」にはあんまり興味が無い。というかそれはそれで別ジャンルだと思っている。
今回、キンキーの日本公演やるよ!という前情報が出たときに「靴屋の社長を小池徹平ドラァグクイーン三浦春馬」という情報が出た時に、世の中が「えっ逆じゃないの」とそこそこざわついていたのを覚えている。
いや、逆じゃないだろ!!!小池徹平ドラァグクイーンやったら普通にかわいくなっちゃうだろ!!!それじゃ意味がねーんだよ!!!とブチギレていたのも覚えている。
案の定、幕が開いて暫くして登場した三浦ローラは素晴らしかった。三浦くんってこんなにがっしりした体形だったっけ?とか、こんなに力強く(精神面共に)立ち振る舞う人だったっけ?とか思うくらいに、今まで自分が何年も観てきた三浦春馬像をぶち破る素晴らしい登場だった。思わず声にならない声で「ホェ~~~」とか言ってしまった。
後これは完璧に個人的な三浦くんを見てきた日々の中での感動だったのだけれど、物凄く歌が上手くなっていたし、物凄くダンスが上手くなっていた。舞台に立つようになってから、ちょっとずつ成長を見せていってくれていたけれど、今回は段飛ばしで物凄い勢いで何かの殻をぶち破ったような立ち振る舞いが素晴らしかった。

三浦ローラ率いるエンジェルスの面々も素晴らしい肉体美のメンツばかりで、余計な肉や脂肪が一切無い体にかわいらしい衣装、派手なメイク、ピンヒールの攻撃的なブーツ、そして愛嬌たっぷりの表情。どれをとっても素晴らしくて、ローラwithエンジェルスのパフォーマンス公演とかやって欲しいレベル。
肉体美が美しいということは、衣装の布地が少なかったり、女性が着ると際どい衣装だったりしてもいやらしくならないというか、ただただ「美しい」「綺麗」という感情ばかりが襲ってくるので普通に見世物(あえてこの表現を使う)としても値段相応なのではないかと思った。あんなに綺麗で素敵な男性達の絶対領域や、ピンヒールで踊る姿を観られるのはキンキーブーツだけ!みたいなよくわからない煽りをしたくなった。

小池くんの技量に関してはもう別に今更語る必要がないだろうくらいにこの1年とちょっとで理解しているのだけれど、やっぱり彼は恋愛パートがあんまり得意じゃないんだなというのははっきり良くわかった。が、しかし、それは私にとっては大変好都合というか、ブロードウェイミュージカルあるあるの「なんか気がついたら大恋愛になっていた」シリーズに対する感情移入の出来なさが異常なので、小池くんがいてくれるのはありがたいかもしれない。
これは私は好きな部分なのだけれど、世間的な評価からするとどうなんだろう?と思う点なのだけれど、小池くんの「わりと日本人らしい所」が凄く好きだ。それはもしかしたら越えなきゃいけない課題なのかもしれないけれど、私的にはそのままでいて欲しい、彼の役作りの好きな部分で。
チャーリーは元々の性格もあったけれど、そこに小池くんのあの繊細な表情やしぐさが加わる事によって更に「神経質さ」が際立っていて、その感じがすっごい日本人だな~と思った。し、内向的な感じとか、ウジウジしてしまう感じとかも「静」のオーラをバリバリ放っていてよかった。
対する三浦ローラが全力の「動」で、性別も国境も全ての垣根をぶっこわした存在だったのでここの対比も余計によかったのかな~。

この2人が決して恋愛関係にならないのも、関係成を突き詰めたい人類としては大変とってもよかった。特別な、他の誰でも代替が利かない、お互いのコンプレックスを踏み越えるキッカケとなった大事な友情って素晴らしいよね~~。
私は個人的にはドンとローラにくっついて欲しい!!と思ってしまったのだけど、くっつくまでいかない、なんかあのリスペクトのし合いみたいな現状がすごい好きで終わった後「アーーー」とか良くわからない単語を口にしていた。
一方の小池チャーリーの恋愛事情としては「強い女に振り回されて、より強い女とくっついた」感が物凄くて、いや、これは褒めている。前述の通りなのだけれど、そこに重きを置く事はいくらでも出来るだろうし、別の人間が演じたらもしかしたらニコラに対する後ろめたさとかをもっと重く描く事も出来るかもしれないし、ローレンとの恋愛事情だってもっと深く描けるかもしれない。
でもそこをあんまり濃く深く描かれてしまうと、ローラとチャーリーの関係性がうすっぺらくみえてしまうので、これはこれでいいんだよくらい。
あと先日の1789で小池ロナンの妹を演じていたソニンちゃんが、すっかり小池チャーリーに恋するローレンに変身していたのが、舞台って面白いなあと思うところだった。

個人的にちょっと残念だったなあ~と思ったのは、ジョンテ氏の存在がわりとボヤっとしてて、わりと前に出てこなかったのが凄い勿体無かった。1幕で出てきた時は「あっジョンテ出てきた!」って思っていたのだけれど、実はずっと工場の中にいたし、そのあとも工場の中にいた。
ジョンテ氏の歌声とか、あとは何より三浦くんとの絡みをちょっと期待していた勢なので底は~本当に~~!!!観たかった!!!!と、思いつつもまあまあそれはまた別の機会で…。

話に乗っ取ってちょっと考えた事

今回作品を観ていて、本題と関係ある事でひっかかったキーワードが「ありのままの他人を受け入れろ」。これはもうメインテーマみたいなものというか相当重要な話なので、じゃあメッセージ性として私が受け取ったのはここなんじゃない?って思うと多分そうなんだけど。
他人を受け入れられないって言うのは自分に余裕がないからで、自分に余裕があって好きなことをしていたり好きな主張をしていると、意外と他人が何をしても受け入れられてしまう。
逆に言えば他人を受け入れるようにしていけば、自分だって他の誰かから受け入れられる、というループがあると信じて生きている人間なので、このセリフは大分ささった。
今の日本じゃ大分難しい事というか、色んな人に余裕が無いので「他者を受け入れる」というよりかは、少しでも自分の正当性を主張したくて「他者の足を引っ張る」という所に目を付けがちなのだけれど、そんな事よりも「皆違って皆いい」が出来れば、世界ってこんなに広いんだなって思えるようになるし、色んな思想に対してもおおらかになれるし、自分と思想が違うという事は決して敵ではないんだよとわかるからいいと思う。本当に。

もう1個が「ニッチ市場に売り込みに行ったのに途中でビビって大衆向けにシフトチェンジしてしまう事」について。
これは作中でチャーリーが当初「男性向けのブーツを作る」事によって、プライス&サンの建て直しを計画し、またブーツについてアツく語るローラに感銘を受けて「ローラをデザイナーにしたい!」と起用しローラたちと色々やっていたのに、気がついたら「ミラノに出展するんだから恥ずかしくないものを作らなくてはならない」と言って同デザインの女性用ブーツを作り、ローラがドラァグクイーンである事を隠そうとしたという本編内でわりとさらっと語られながらも重要なポイントについて。
これ、私は今の日本演劇界というか日本エンタメ界……言ったら多分もっと大きな枠組みの中に感じていて。
結局人って言うのは「誰かが楽しそうにしている」とか「よくわからないけどイキイキしている」というそのエネルギーに惹かれるもので。そしてそれらは基本的に最初は「余り受け入れられない」という所からスタートしている。だからこそ失うものが無いので、より一層好き勝手な自己表現が出来ているのに、一定の支持層が現れた途端に「もっと多くの人間に受け入れられたい」という願望が現れてしまう。
そしてその結果「大衆向け」に走り、そもそも自分が信じていた道を見失い、似たり寄ったりでオリジナリティが少ない何かしらが出来てしまいがちだと思う。別にそれでもいいと思うし、それが完全に悪だとは思わないのだけれど、「ニッチ層が勇気を振り絞って発信した何か」というのは、同じようなニッチ層に凄く力を与える。けれど今度それが大衆化してしまって世の中の大量の人間に受け入れられ、大衆に媚びるようになってくると、それはニッチ層を傷つける結果になる。
傷つけないようにしてくれ!といいたいわけではないのだけれど、どうか世の中の皆様は「自分の信じる道」を言ってほしいというか、例えそれが急激に沢山の人に受け入れられるものでなくても焦らないで欲しいし、誰に受け入れられなくてもそれは貴方の正義だし、もしそこで誰か1人でも貴方を理解してくれる人が現れたらとっても素敵な事じゃないのかな、と思う。
自分の意思も、自分の正義も、誰かや大衆に合わせて整える必要なんて無くて、全員に受け入れられる必要なんてなくて、自分のありのままを提示していれば、それこそ前述の「ありのままの他人を受け入れる」人間が現れていくのではないのかな~と思ったりなんだリ。
だから現代の日本にとどまらずなんだけど、特に私は今現代日本の演劇業界とかエンタメ業界に対して「ニッチ層向けに作ってたんだからいいじゃん!」といいたい事が沢山あるので、どうか大衆向けにしようと意気込まないで欲しいと願ったりなんだリ。

そんな思いもあったので、チャーリーが最終的に自分の否を認めて、ローラに全面的に謝り、自らがブーツをはいてミラノのステージ上に上がった瞬間、私は涙が止まらなかった。コミカルなシーンで会場の中にも笑いがこみ上げていたし、決してそのリアクションは間違っていないと思うのだけれど、そんな笑いが溢れる中で、自らの否と罪を認めてああやって舞台に立つチャーリーの姿にぐっと来ざるは得なかったし、またそれを助けにくるローラとエンジェルスたちの男前さにも涙が止まらなかった。

物語の結果、あの後どうなったのかとかそういう事は語られる必要性はあんまり無いと思っていて。まああの後どうなったのかないうのは気になるポイントなのだけれど。
チャーリーが自分の道の誤りに気がつき、仲間達と共にブーツを作り上げ、最後ローラがそれに手を貸した、という所までが彼ら彼女らのストーリーの中での一番大きな部分だと思う。なのであそこが答えというか。そこにちょっとオマケ程度で恋愛要素があるのもまたヨシで、全体的にバランスがよいなあ~という感覚だった。

そんなこんなで「難しい事は考えられない」とか言った割にはそこそこ喋った気がする(喋ったというかタイピングしてるだけなのだけれど)。
ニッチ層とかマイノリティとかそういう言葉を用いるのもそもそもどうなんだよと思うんだけれど、どういうジャンルにおいてもそういうくくりをされている人たちが楽しそうにのびのびしている姿を観るのは素晴らしいなあ~と思うので、そういった意味でもいろいろリフレッシュ出来たかもしれない。
そんな感じでとても楽しかったし素晴らしかったし、華やかだった。ほら、やっぱり最初の感想に戻ってしまった。でもそれくらいでいいのかもしれない。