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夢は座席で安楽死。

観る→考える→想う→書く。

【舞台】クレシダ

クレシダ

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@シアタートラム
2016年9月4日~9月25日

http://www.cressida-stage.com/


演劇を作る人の話を描く演劇は、いつみても、とても楽しい。
パッと見、物凄く堅苦しいメンツの堅いお芝居に見えるが、そんな事なく軽やかでユーモア満載の楽しいお芝居だった。
1ポンドが当時の価値観でおおよそいくらくらいなのかを認識していなかった為に凄く歯がゆい思いをして勉強不足を痛感。

感想ぱらぱら

橋本淳くんが出ている舞台を観に行くきっかけはいつだって橋本淳くんなわけで、とはいえ今回は「舞台俳優」や「演劇」について語る舞台という、自分が好みのテイストの作品だったので楽しみも更に倍以上に増していた。
橋本淳くん演じるハニーがあまりにもあまりにもよすぎて心を奪われ過ぎてその一言で終わりたい。……んだけども、淳くんは前回の「竹こうこう、風そうそう」の感想をちゃんと書きそびれてしまったので(すごくきちんとした作りのあまりに高貴な感じの舞台だったので私ごときは言葉を失った)、その分もちゃんと書く。

物語は1630年代、シェイクスピアの死後20年ほど経ったロンドン・グローブ座を舞台にして幕を開ける。
当時は女優を舞台上にあげる文化がなかったために「少年俳優」と呼ばれる、美しくて線の細い少年たちが女役を演じていた。
物語の主人公シャンクもかつてそんな少年俳優として時をすごし、今は俳優養成所の講師として次世代の少年俳優たちを育成していた。
……というような話。詳しくは公式HPにもっとよい文言のあらすじがある。


最近何かとシェイクスピアに触れる機会が多いのは、間違いなく某中屋敷さんのせい…いやお陰なのだけれど、おかげさまで作中の小ネタというか「シェイクスピアネタ」がとてもよくわかって物凄く面白かった。
作中で「シェイクスピアって面白い?」「死んで20年経っても作品が上演され続けてるから少なくとも」みたいなやりとりがあって、そんな今は没400年の年な訳で、改めてとんでもないなと思わされた。
シェイクスピアを物凄い尊敬して崇めているかと聞かれたら別にそういう訳ではないのだけれど、ただでも物凄く、本当に、偉大なんだなと何故かこのタイミングで思ってしまった。
シェイクスピアの作品だけでも尋常じゃない回数を全世界で上演されているというのに、そこからさらにシェイクスピアの作品をパロディにした作品、モチーフにした作品、シェイクスピアを取り巻くあれこれの話というひろがりがとてつもなくある。これが「後世に残したもの」って奴か~と思ってしまった。
シェイクスピアの話を知っていれば通じるものとか、伝わるものがあって、コミュニケーションツールになるのも凄いなあとしみじみ。
「ロバの頭」が出てきただけで「あ~夏の夜の夢をやるのか」ってわかるの、凄い面白い。


当時の演劇市場では「女優」という概念が存在しておらず、女性役は全て男性(少年俳優)が演じていた。少年達は自らの美貌や、演技のクオリティを追従して他者を下げている世界観、少年であることが売りの少年俳優が次第に大人になっていくことへの葛藤、次々に自分より優れた若くて美しい少年俳優が現れてくることに対する焦燥感、それを認めたくないゆえの虚勢、それから、それからと、ありとあらゆる「いつの時代も変わらないのだな」というものが詰め込まれていた。
クレシダという作品自体は今から16年前の2000年のイギリスで、あれ?意外とここ最近の話なのか?とちょっとびっくりした。
1630年代頃のロンドンの少年俳優たちの葛藤が本当にそうであったかはわからないけど、少なからず2000年に書かれた「1630年代頃のロンドンの少年俳優たちの葛藤」が、2016年の日本の若手俳優にも当てはまる辺り、歴史は繰り返す、ではないけれど、いつの時代も似たような悩みや焦りは沢山あるのだろうなあと思ってしまう。
才能も、若さも、美貌も、永遠ではなくて、どんなに熱心に磨いて保っていたって衰えていってしまう。

作中に登場するシャンク(平幹二朗)も、ジョン(花王おさむ)も、ディッキー(高橋洋)も、かつては「少年俳優」として美しい女性役を演じていた経歴があり、だけれども皆今となってはおじさん(おじいさん)だ。
それを聞いた今の少年俳優たちが「ありえない!」と口々にするものの、どこかその後の自分達の未来を見るおぞましさというか、受け入れがたい事実への恐怖というか、そういうカルマ的なものはいつになっても存在するんだなあと胸が痛くなった。
「少年がまるで女性のように見えては意味が無い、少年が”女の格好”をしている事に価値がある。」というような台詞や、パンフレットに記載されてたニコラス氏の「男性・女性どちらでもない事による魅力」みたいな部分についても「少年」という限りある時間が生み出すものなのかなとか考えてしまったりして。
この作品の中では「少年」が「少年で無くなる時」に価値を失うというような描かれ方をしていたので、彼らが少年ではなくなる事への絶望が物凄かった。
が、役者も、ダンサーも、何かしらのパフォーマーというか「自分を見世物にする」人達は、どうしても他者との比較というのがかなり大きいものになってしまって、ただ現代日本では決して「少年」でなければならないわけではないので、映り行く時代と、変わっていく自分の姿をきちんと見極めて、自分の立ち位置をいかにその時々に合わせて確立していくかというのが大事なのだと思った。


あと、演劇という手法を用いて「演劇とは何なのか」というのを語るのが物凄く好きだし、劇中劇が行われるのがとても好きだ。俳優役の俳優が凄い好きだ。
海外ではどうだかしらないけれど、日本は概ね舞台を観に行った舞台関係者は「褒める」ことが多い。私は出来ればつまらないものはつまらないと言って欲しい主義なのだけれど、大人のあれこれが邪魔をする訳で。
しかし劇中劇となれば話は別で、作中で演技が下手くそな俳優を罵る時のとてつもない言い回しだとか、排他する行為は「やっぱり皆下手だったら下手っていうよなあ」という謎の安心感につつまれる。
今回だと「アイツの演技は本当に退屈だ。あの演技を小瓶につめて不眠の薬にして売ったらどうだ。」というようなシニカルすぎる台詞がお気に入り。「数字が演劇をつまらなくする」も好き。
まあ皆様表では言わないだけで、きっとそんな事沢山言ってるんだと思うんだけど。


それにしても平さんがものすごかった。80代にはまったく見えない滑舌と演技力、圧倒的な存在感にひっぱられてしまい、端で何かやってる若手組を見ようとしても絶対に視線が平さんに持っていかれてしまう。
私が淳くんを舞台上で観る時は多かれ少なかれ贔屓目で見てしまうのだけれど、それでも淳くんが「若手」に見える存在感…というともう何があれなのかよくわからないんだけれどそういう感動があった。
今回20代…もうすぐ30歳間近の役者が何人か出演していて、一方で平さんは60年以上役者をやっているかと思うとなんだかもうよくわからない。
演劇人は永遠に生き続けることは出来ないけれど、その演劇魂をバトンタッチする事は出来る、という話もパンフで読んで興味深かった。それはこの「クレシダ」という作品自体もそうだし、そしてこうして平さんが今「クレシダ」に出演しているという事も、まさにその体現だなと思った。
「クレシダ」は平さんが演じるジョン・シャンクが主人公なのだけれど、シャンクが存在する事によって周りの少年俳優や元少年俳優たちが生き生きとするさまが、そのバトンタッチっぽいなあとか思ったりなんだり。


今の日本の演劇界というかエンタメ界というかなんというかには「若手俳優」と呼ばれる職業の男の子がとても多くて、その子達がこれからも「俳優」でい続けるのか、それとも「若手俳優」で終わってしまうのか。
年々現れる新人の数が多く、引退など姿を見なくなる人の数も多い。そういう職業なのか、「俳優」のラインが下がってきてるのかはちょっとよくわからない。どっちもなのか、他にも要因があるのか。
私は若手俳優でもないし、イケメン男子でもないし、というかそもそも役者ではないのだけれど、それこそ今10代~30代前半くらいの「若手俳優」と定義される男の子たちにこの舞台を観て欲しいと思った。強く、それはとても強く。


ハニーとスティーヴンについて

ここから自分の記憶のメモ用も含めて話の流れを書くのでこれから観劇に行かれる方はご注意を。つまるところ盛大なネタバレ。
「5秒で泣ける恋愛描写ってあるか?やばいな?」という感じだった。そういう話をする。
あとりあこのおたくが死ぬ瞬間ってこういう時だなっていう話もする。ので言葉をくだく。


橋本淳くん演じるジョン・ハニマン(通称ハニー)たちの元に、浅利陽介くん演じるスティーヴン・ハマートンが現れる所から物語の起承転結がスタートする。スティーヴンは養成所からの派遣でハニーたちの劇団に派遣されてきたのだが、発声すら難がありハニーが面倒を見る事になる。
しかし、途中でスティーヴンの告白により「スティーヴンは元々ハニーの大ファンで、ハニーの出演している舞台を何本も観ている事、どうにかしてハニーに近づけないか模索した結果この手段をとった」という事が明らかになる。
すごい、スティーヴン、めっちゃりあこのおたくだし、普通にヤラカシレベルのリアストだ、怖い、と思ってしまった。

スティーヴンもハニーも勿論少年で、スティーヴンはハニー自身というよりかは「ハニーが演じている女性役」に恋をしている。おたくあるあるのような「ここの細やかな表情はこういう心情とこういう心情があるからで~」という話を本人にするがハニーは「いやそんなんじゃないし」と冷たくあしらう、だめだ、完全に心臓が痛い。

ハニーは劇団の中で一番有望株、皆から褒め称えられるほど美しい女性役を演じる少年。だった。作中で描かれる時間軸の中では、きっともう「だった」のだと思う。
その事実を受け入れたくないハニーはお高く止まっているし、他の俳優を見下している、けれどどこかなんとも言えない焦りとかそこから現れる苛立ちだとかが表面に現れていてピリピリしている。
そのピリピリが「少年として」ではなくて「女優として」の寿命を見据えているものだから余計に怖い。

作品の中で時間が進んでいくにつれて、スティーヴンが「トロイラスとクレシダ」のクレシダ役を命ぜられる事になり、当然だがハニーは「それは本来自分がやるべき役だ」と怒りを露わにして声を荒げる。
そのクレシダ役をやる、という事自体には裏があり、その為の配役だからという事でハニーはその瞬間は納得するが、本番で喝采を浴びるスティーヴンの「女役としての姿」に完全に参ってしまう。
それと同時にシャンクから「お前に出来る女役はもうない、今の自分を受け入れろ」と告げられて、誰も声がかけられない状態となってしまう。
そりゃあそうだ、ミーハー心で自分の元に近づいてきた男が、自分より若く、そして優れた才能を持っていた。そして自分の場所を奪ってしまう。更には自分がもう若くなく、「女役」を続ける事が難しいという事実まで突き刺さる。たまったもんではない。


物語終盤で、王子様(つまるところ男役)を演じるハニーが現れる。
「随分とヒゲが似合ってきた」というスティーヴンは、やっぱりハニーに恋してるようにしか見えなくて、偽りの擬似の恋心が、一緒に時を過ごす内に本物になってしまったのかと思うと胸が張り裂けそうに痛かった。
ハニーが一言「結婚する事になった」とスティーヴンに告げると、スティーヴンは今にも泣きそうな顔になる。そこに追い討ちをかけるように「だってお前が恋をしていたのは、あの頃(女役として)の僕にだろ?」と問うが、それでも…と少し口を噤む。
「どんな女性と結婚するの?以前口説いていたみたいな年上の女の人?」と恐る恐る問うスティーヴンに対して、


「ドレスを着てる君に、ちょっと似てる。」


そう言いながらはにかんでハニーはスティーヴンに小さなキスをする。

死んだ。この瞬間全私が客席で死んだ。3センチくらい宙に浮いたかもしれない。
その瞬間のハニーはどこまでも「女優」で、美しくて、儚くて、けれど男らしくて、かっこよかった。
スティーヴンは、自分が憧れてファンとして好きだった少年俳優の「ハニー」と、そこから紆余曲折あり恋心を抱いてしまった「ハニー」の両方を同時に失う事になる。私だったら死ぬかもしれない。
けれどハニーが「等身大の男として」生きるという決断をする事になったのは、誰でもないスティーヴンがいてこそなので、なんとももう切なくて苦しくてたまらない。
スティーヴンの恋はまったく実っていないのだけれど、だけど!だけど!!!みたいなあれとかこれとかそれとかの葛藤がありすぎてこの数秒のシーンだけで涙が出た。
いやあ、ハニー、最後までいい女(男)すぎた。
自分の終わりを見つめて、次にシフトチェンジできるのは、とてつもなく格好がいい。そして殺し文句がひどすぎる。

別にこれはスティーヴンが女性でもよかったと思うのだけれど、スティーヴンが男性で、ハニーも男性で、だけれどどちらも「ハニーの中に存在する女性の部分」を大事にしていたからこその感情や結末だと思うとどうにもなんとも説明がつかない。なんだ、真実は残酷だ。
とはいえこの2人にハッピーエンドで幸せになって貰うと「少年の葛藤」の意味がなくなってしまうので、そんな事もあったのねという1つの小さい恋の話が終わるさまも、刹那的でたまらなかった。少女漫画みたいだったなあ。


愛とか恋に対して後ろ向きではないあたりは今までの淳くん(のお芝居)ぽくない!という感じだったのだけれど、勝手に自分で決めて自分で納得して切ない顔で笑うのは淳くん(のお芝居)ぽかったなあというか、やっぱり橋本淳という役者と恋愛要素や尊敬がどうのとかいう話になると私は何かのスイッチが入ってしまうようで、毎回心臓が張り裂けそうになって辛い。
なんの舞台を観ていても特段あんまり性別にこだわりがないのだけれど、淳くんのお芝居は顕著にそこがどうでもよくなる。
「好き」か「嫌い」かのどっちかで、大体彼の演じる「好き」は報われない事が多い。でもその報われない「好き」を演じるのが余りにも素晴らしくて、そして私もそこが好きだ。

2016年も彼が出演している作品を色々と観てきたけれど、この感じがあるのは今年は初かもしれない。
そしてあと半年くらいで私が「初めて舞台上にいる橋本淳」を観てから10年が経とうとしているというのが信じられなかった、時の流れの速さに引いている。
多分これだけ長い間、コンスタントに出演作品を観続けられているのは、プライベートというか板の上から降りた彼にあんまり興味がなく、深入りせず、「絶対に観なきゃ」とかいう謎の誓いをしていないからだろうなと思う。
同じ役者さんの出る舞台をずっと観続けていて「この役者さんを好きでいてよかったなあ」と思えることほど、幸せなことはない。
結局私も舞台上のハニーに引き寄せられるスティーヴンのように、舞台上で別の人物を演じる「橋本淳」が凄い好きで引き寄せられているんだろうなと思うと、全面的に色々つらかった。



…と、いうような事もあって凄く充実した2時間半だった。