夢は座席で安楽死。

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【舞台】突風!道玄坂歌合戦

突風!道玄坂歌合戦

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@CBGKシブゲキ!!
2016年12月7日~20日

http://amuse-gekipre.com/


「今年のハンサムにはプレステージの子達でないなら何かやるのかな~」と言っていたら、劇団プレステージヨーロッパ企画がタッグを組んで道玄坂で大暴れ!?ありそうでなかったコラボ企画に心が踊る。
片や役者がTDCホールで本人として熱唱し、片や役者がシブゲキで役として熱唱する2016年のアミューズは大忙しだ。
そしてこの公演で私が劇団プレステージと出会って21作品目にあたるらしい。自分の中で「一度も欠かさず舞台を見てきた劇団」ってあっただろうか?と思うと、多分無いのでびっくりしてしまった。

個人的な「ミュージカル」の定義とは

今回この作品は「ミュージカル」と称されているのだが、個人的にはとても演劇的だった。演劇人が考える「ミュージカル」を演劇として上演していた。と、言ってもまるで言葉遊びのようで何がなんだかわからない。
昨今「2.5次元ミュージカル」とされるものが多くて「ていうかミュージカルってそもそもなんだよ」と思うことが多々あるので、2016年12月現在の私の中でのミュージカルの定義を書き残して置く。

私の中で「ミュージカルか否か」を定義する大きなポイントは2点あり、1点目が「台詞をメロディに乗せて歌っているか」、2点目が「役が歌っている事に対して無意識的か」である。
1つ目は読んでそのまま字のごとく、私がミュージカルだと感じるものは「台詞や感情にメロディがついている」物である、なので「そのシーンにあった曲をセレクトしている作品」や「オープニングやエンディングにのみ歌唱が行われるもの」はミュージカルとは思っていない。
「作中内で歌うシーンが必要になるもの」に関しても勿論ここ。これに関しては2つ目の説明の際に細くする。
劇団プレステージがシブゲキに進出してきてからの作品は「台詞にメロディがついている」訳ではないので、1つ目に関しては「否」になる。
最近だと「弱虫ペダル」とかもそのくくりなので、作り手や縁者が頑なに「これはペダ”ミュ”じゃない」と言っている言葉に対して、私は強く頷き続けている。

2点目がこれはあんまり気にしない人もいるのかもしれないけれど、個人的には凄く大きい。
何かというと、客席にいる私達からすると「歌っている」様に見えるシーンに対して、舞台上の役が「今自分が歌っている」と認識しているか否か、という所。
ミュージカルは表現手法として「歌唱」を取っているので、登場人物が「今自分は歌っている」と自覚していると、それはミュージカルではないのでは?というのが持論。
「作中で歌う必要性がある」場合というと、一番解りやすくいうと、登場人物に歌手やアイドルなどで「歌う」動作が必要な役が出てくる場合。劇団プレステージの公演で言うと前回の「リサウンド」がこれに当たる。後はデスノート the MUSICALのミサの歌唱のシーンとかもここのくくり。

上記の2点がどっちもクリアされた時に、初めて「ミュージカル」と呼びたいなあと私は思っている。別にミュージカルだから偉いとか偉くないとかはないし、あくまでもジャンル分けする時のこだわりの話であって、この2点を色んな形で組み合わせるから、更に新しい表現手法が生まれて面白いと思っている。


今回のこの「道玄坂歌合戦」は「台詞をメロディに乗せている」ので1点目はミュージカルのくくりに入るのだが、「歌っている事に対して役が意識的」になっている。
なので、「とてつもなくミュージカル的な演劇」という面白い構造になっていて、それがとても面白かった!……という話をこれからしていく。
ちなみに話がわかりづらいので二軸で可視化してみた。私の考える「ミュージカル」は赤丸で、今作品は青丸である。
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感想ぱらぱら

とにかく「この作品に出られてる人羨ましいな!?なんだこれオイ!?」というのが初回告知の時のリアクションだった。
劇団プレステージヨーロッパ企画がコラボする時代が来たとか2016年やばいと思ってしまった。ちなみに、私はヨーロッパ企画の皆様が好きな中で、今回は出演されていない中川晴樹さんが中でも大好きなので、次回コラボする際は中川さんも是非混ぜて欲しい、ただの願望を突然織り交ぜる。

と、いうような前置きをしたところで、大分入れ子構造が強い舞台だな~と思った。
パッと見、ただ楽しくて笑い飛ばせる100分(くらい?)だったのだけれど、深読みすればするほど「演劇」というものを使って遊んでいるような気がして面白かった。
それこそ前述の「ミュージカル」なのだけれど「演劇」という部分もそうだし、道玄坂の途中にあるシブゲキで行われている演目の中でも「渋谷」を舞台にして「道玄坂」で争いが繰り広げられる。

物語は、劇団プレステージの加藤くん(プレステージの公演で見るのは久々)の発する諸注意からはじまる。5分前ではなく「定刻」の諸注意。
何が言いたいかというと、普通の舞台なら、諸注意は定刻の5分前に行われるので「現実」の世界のものなのだけれど、この諸注意は既に「虚構」の世界から発信されている諸注意だった。
その後すぐにM-1がかかり「劇がはじまるよ♪」というまったくもって中身がない歌が歌われる。ただこの歌詞が中々秀逸で「なんとなく押す事もあるけれどそれでも劇が始まるよ」とか「定刻前から舞台上に役者がいることもあるけれどそれでも劇が始まるよ」といった歌詞(うろ覚え)がちりばめられていて、「虚構」の世界から発信されている「現実を語る」歌詞の数々だった。


その歌が終わると同時に「諏訪」役の諏訪さんと、「今井」役の今井くんが登場する。ここがまず第一フィルターの部分。
この時点での彼らは「現実よりの虚構」で、今度今井くんを主役にしたミュージカルを諏訪さんが作ることになったんだけれどどうしよう?道玄坂ユニクロでやるんだよ。というような、激しくメタな会話が繰り広げられる。まるで楽屋で彼らたちが話しているかの様な口ぶりなのが面白い。
そこから「自分が主役のミュージカルなのだから、自分の人生もドラマを繰り広げたい」という今井くんが「今日からはじめるピザ屋のバイト先で何かドラマがないか探してくる」と出かける事で、完全に第二フィルターがかかり「虚構」の世界へと誘われて行く。
今井くんが待ち合わせをしていたリッキー(本多力さん)も、微妙に現実の匂いを漂わせている。
けれど以降登場する人物は全員「役名」で姿を現し、本人とはまったく異なるキャラクターたちなので、それがとても面白かった。


どの役もパンチが効いていて好きだったのだが、特に「ミュージカルポリス」とされる加藤潤一くんの存在は相当印象が強かった。数々のミュージカルに出演して、劇団プレステージの公演に参加出来ていなかった彼が「ミュージカル」という看板を背負って、それを武器にする役として劇団プレステージの公演に参加してくる、とてつもなく面白い。
そこに加え「シアターオーブでキンキーブーツの上演が~」などという、また現実と虚構をかき混ぜる台詞をぶっこんで来るものだから笑いが止まらない。

あと個人的に好きだったシーンは、シュウジ(猪塚健太)とコゼニ(藤谷理子)のバルコニーでのシーン。
ロミオとジュリエット」しかり、「ウエスト・サイド物語」しかり、許されない恋をした2人が密会しているシーンで「静かにしないとパパが起きちゃうわ」と言いながら、全力で歌唱を行うシーンがある。
これを「ミュージカルを見ている私達」は「まあ表現手法だからな」というので気にせず見進めるのだが(とはいえTonightは普通に目覚めるだろとずっと思っているけど。)、この作中では見事に「父親が起きてくる」のだ。
そして当たり前のように「お前は人の家の庭で何をしてるんだ」というツッコミが入る。当事者であるシュウジとコゼニからしても「歌っている」という自覚があったし、それを他者である父親の鮫島(高橋秀行)からみても、やっぱり「歌っている」のだ。
そう、これが物凄く演劇的だった。「演劇的」って言っても大分ぼんやりした日本語だなと思うのだけれど、この感覚は体感してみてニヤニヤするものだと思うので、是非体感して貰いたいくらいに、この感じが好きだ。


そしてもう一つ、「突風!道玄坂歌合戦」で主役を務める今井くんが、作中では「自分は脇役だ」と悩んでいるこの展開が凄くアツい。
舞台を観ている私達は「脇役である事を悩む主役」を眺めている事になるので、この入れ子構造に対してゾクゾクが止まらなかった。
更にはそこに高田(角田貴志)が放つ「脇役でも舞台に立っているからいいじゃないか、ジタバタすればいい。」という台詞、この一言の重みが、物凄く「虚構の中の現実」だった。
ミュージカルにしろ、演劇にしろ、主役だけがいたらよい訳ではないという価値観で生きている。
勿論自分が演者であるのであれば、主役の方がいいと思うのだろうけども、だけれど、やっぱり主役だけでは舞台は務まらないのだ。
主役がいて、名前がある役たちがいて、名前も付かないようなアンサンブルや脇役がいて、スタッフがいてはじめてその世界は意味をなす。誰か一人が欠けてもその世界は構築されない、全てが大事なパーツなのだ。
なのでその台詞を「今まで何年も演劇を作ってきた人たち」から発される事で、意味合いも重みも何倍にも変わっていくように感じた。


そして物語の導入部分は、なんとなく現実から虚構に誘われて行く感じがあったのだが、終盤は「どこまでが現実なんでしょうね」というような事を、あえて役が言い放つ。
想像の余地を残すというか、どこで線引きをするかというのは客の感性に任せているのが素敵だなあというか、あえて全部を説明しないこの余裕のあり方が好きで仕方がない。
たまに「全部説明したい」作り手の人たちがいるのだけれど、私はあまりそれを好まなくて「そう受け取られたらそこまで」「そこまで受け取ってもらえなかったらそれまで」だと思う。
それを理解できなかった人間や、自分の意図とは違う受け取り方をした人間に一々「実はあれはこうなんですよ」と説明するのは少し押し付けがましく聞こえるというか、その位好きに楽しませてくれ!!と思うので、その余地の与え方は圧倒的に大人の余裕を感じた。
自身の作った作品を「信頼している」からこそ、その受け取り方を客に委ねているこの感じ、とてもよい。


メインストーリーも勿論なのだけれど、そういった「全力の遊び」の部分が何よりも面白くて、諏訪さんは流石だなあと思わされたし、そこに現在渋谷を本拠地にしている劇団プレステージが混ざったことで、更に「どこからが現実でどこからが虚構なのか」がわからなくなっていったのがとても面白かった。
劇団プレステージは過去に「アウタースペース109」という渋谷を舞台にした演目をやっているのだけれど、その時はあくまでも「どこかシンクロしている風」でリアルとの差分を楽しむのが面白かったのが、今回は「リアルとの境界線がモヤッとしている辺り、「劇場を出たら彼らがいるのかも知れない」と思わされるというか、シュレーディンガーの猫的な「劇場を出なかったらこの世界線も並行で存在しているのかもしれない」と思わされるのが面白かった。
これが「スワミュ」といわれるものか…と、とても感動したし、こういった現実と虚構をウロウロする作品が大好きなので、これからもこういったものが観られたらいいなあと強く思う。

余談

先月11月に、元劇団員の結城洋平くんが主催を勤める「結城企画」の第一弾公演「ブックセンターきけろ」を観劇に行った。
何故この公演の感想が無いかというと、完成間近の下書きを私が誤って削除してしまい、白目を向いたからというどうしようも無い理由なのだが、失った虚しさで書き直す気力がどうしても起きなかったのでここに記しておく事で懺悔に変えたい。

作品自体もとても素晴らしくて、「ああ結城くんがやりたい事ってこういう事なんだなあ」とひしひしと感じられたし、そこに存在する結城洋平という役者は、私がかつて劇団員と一緒にいる中で「好きだなあ」と思っていた彼とほぼほぼ変わらなかった。
その彼が生き生きとする姿の周りにいる役者が、劇団員でないのが少し寂しかったのだけれど、結城企画には何人もの劇団プレステージのメンバーが手伝いに行っていたし、また今回の公演にも結城企画の次回公演「くるみ割れない人形」のチラシが折込まれていた。
そうやって、彼らは「別の場所」で「一緒に」頑張っているんだなあと思うと凄く嬉しかった。

ちなみに、現行私が足蹴無く通っているピューロランドに足を運ぶきっかけになったのは、結城くんが「ちっちゃな英雄」に出る事になったからだ。
橋本淳という役者がブログで紹介していた事により劇団プレステージに出会い、そこから結城洋平という役者に興味を持って、彼が劇団を辞めた後に行った芝居を見て、そこからキッカケで私は今、自分がとても大切に応援したいと思える人たちに出会って、一生懸命熱を上げている。
演劇界にとどまらず、「横の繋がり」というのは時には至極忌まわしく、それにより抑制されるものがあまりにもありすぎるのが現代日本の凄く宜しくない所だと思うのだけれど、当たり前によい連鎖も繋がってる。
こうやって好きなものが連鎖して、それがどこかしらで繋がっているのはたまらなく面白いし、ああこれだから芝居を観るのはやめられないなと思わされる。

負の連鎖も、正の連鎖も、つなげようと思えばどこまでも繋げる事が出来る。
だとするならば、私はやっぱり正の連鎖の方を繋げていけたらなあと思うので、これからも少しでも興味があるものには躊躇わず足を運んでいければなと思った12月だった。