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夢は座席で安楽死。

観る→考える→想う→書く。

【舞台】虚仮威

【※】ネタバレ 舞台

虚仮威

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@本多劇場
2016年12月28日~2017年1月9日

http://kaki-kuu-kyaku.com/

2016年最後の観劇、最後の記事は柿喰う客が13人になってからの初の本公演…というよりかは、今年は色々柿の演目があったけれど、なんだかんだで2015年の「天邪鬼」ぶりの新作本公演。
サンタクロースをモチーフにした舞台を、クリスマスがとっくに終わってしまった下北沢で観ているせいか今がいつだかわからない。
そして本多劇場紅白歌合戦を観賞して年をまたぐ事が出来るという幸せすぎる展開に心が躍る。

感想ぱらぱら

作品は平成28年12月25日のクリスマスの「彼(牧田哲也)」と「彼女(七味まゆ味)」の会話劇からスタートする。「家族を家に残して彼女の元に来てしまった彼の物語」と、「彼女が語る彼女のひいおじいちゃんの物語」が交差しながら、現在の時間軸、回想の時間軸、虚の世界、実の世界を行き来する。
「ひいおじいちゃんの物語」の中でも何度か回想シーン内回想が入ったかと思えば、現在の時間軸の人間が回想シーンの時間軸の人間に話しかけたり、それぞれの時間軸の人間が客席(現実の私たち)に話しかけたりと相当な入れ子構造となっていて、とても集中力を使ったり、混乱したが、「話に集中した頃に別の時間軸に飛んでしまい集中が切れる」構造なのが面白かった。

作品全体としては、比較的「わかりやすい」ストーリー設計で、今回が柿喰う客初見という方からしたら何ら問題なくとても面白く見られるのでは?と思う。
ただここ数年の柿の作品をよく観てる人間からすると少しデジャヴ感に襲われる部分は多く見受けられる気がした。
それは配役だとか、台詞だとか、シーンだとかそういう物で、言ってしまえば集大成、言ってしまえば「ダイジェスト」的な。「あーこの感じは前にもどこかで…」というこの感覚がプラスに働くかマイナスに働くかは受け取り手次第だと思う。
ただ、ワード的な意味では敢えてセレクトしている部分もあるような気がしたので、もしかしたら意図的でもあるのかなあとも。


今回のメインビジュアルがそもそも好きだったのだが、本編の衣装とメイクはもっともっと好みだった。赤と黒で統一され、白塗りと赤が強めのメイクで、「ティムバートンっぽさ」みたいな印象だろうか。
後はそのメイクや衣装を際立たせるザッハトルテさんの楽曲がとてもよく耳から離れない。なんというかこう「こじらせてるおたく、好きだよね」みたいな感じというか。
更に座る座席によってまったく見え方が異なる舞台セットや、何より一番照明が素晴らしい。柿喰う客ではお馴染みの松本さんの照明は「虚を実にする」魔法の照明だと思っている。
中屋敷さんの思い描く世界を、劇団員の動きや台詞に合わせて、絶妙な照明が当たることにより「確かにそこにある」ように見えるのだ。
そんな風に、今回は特に「役者以外の舞台を作る方達」の力に圧倒された。


勿論役者陣も素晴らしく、いよいよ全員そろった新劇団員も素敵な部分やこれからののびしろを沢山見せてくれてここから先にわくわくさせられる。
そしてキャストの中でも第二世代と私が称している、わたるさん、葉丸さん、敬三さんのお三方が素晴らしすぎて感動した。
今回はこの三人が舞台の主軸といっても過言ではないのでは……というくらいに安心の三本柱だと思っている。この三人が物語を中心的に回したり、スパイス要素を入れているのがたまらなく嬉しい。
とにかくこの三人の絡みややり取りが大好きな身としては、そういう面でも好きな作品になった。
それから、まゆ味さんの圧倒的が尋常ではなく、サンタクロース姿で現れた七味まゆ味という女優の神々しさに思わず涙が出てしまった。当たり前に全く涙が出る様なシーンではない。
玲央さんと深谷さんについては、もはや現状言葉が見当たらないので追って脳みそを整理したい。物語の中心にいる玲央さんも、たまに現れては瞬時に視線を奪っていく深谷さんも素晴らしかった。
あと個人的に大好きなのが、終盤でまゆ味さんが玲央さんの頭を撫でるシーン。ここはもう少しだけ感動的というよりかは怖い感じになっていてもよかったかなあと思うのだけれど、とにかくこのシーンのビジュアルというか空気感がたまらなくよかった。
他にも語りたいところは沢山あるのだが、物凄く長くなりそうなので、役者についてはここらで一旦おしまい。


好きな言葉シリーズとしては、今回のキャッチに使われていた「首を洗って待っていろ、今夜必ず会いに行く。」が、めちゃくちゃ好きだった。が、本編中でその言葉を使用するシーンがとてつもなく好きで、気が付くと私は大粒の涙をボロボロと溢していた。
父になった永島敬三に父の役を与え、「父親の役目を奪わないでくれ」と懇願させるあのシーンがどうにも苦しくてたまらない。中屋敷マジックは、こうやって役者のよいところを現実の要素とリンクさせて、更によくして見せるところだと思う。
そして大好きなキャッチの台詞を、敬三さんが放ったとき、一瞬思考回路がショートした。好きな言葉を、好きな俳優が、好きな声で、好きな感情を乗せて放つ。これ以上の事はない。
他にも相変わらずのパワーワードが多くて、是非実生活で使用したいけれどしどころがない物ばかりでそれはどうしたものやらという感じ。
「サンタクロース側の人間」「身の回りのメンヘラ」「河童を抱いたことが無いから」等など、もはや字面だけ見たら妖怪大戦争だが、耳残りのよい言葉ばかりすぎて、今回も台本が欲しくて仕方がない。


そして今回は珍しく咀嚼しきれていない箇所が出てしまった。それは冒頭からずっと現れている「彼女」のこと。
結局のところ「彼女」はつてサンタクロースだったけれど、今はサンタクロースではいられない人間なのだろうか?というような話で盛り上がった。
彼女を演じる七味さんと彼を演じる牧田くんは、回想シーンではサンタクロースとトナカイとしてずっと一緒にいる。ここがとても引っ掛かっている。
「どうして私は女になったのだろうか」の問いに対して「性転換説」を唱えている友人もちらほらいれば、「転生説」でサンタクロースの資格(=男であること)を失った自身への問いかけなのかと思う自分もいて、それともそれ以外なのかもしれない。
「まなみ」ではなく「娘(子供)」だと呼ぶように促すところだとかも踏まえると、個人的には転生説を推しているのだけれど、この答えは自分では問いたくない。
またそれに対しての「俺は止めた」の言葉の意味も含めて、もう少し考えたい。

最終的に彼はサンタクロースになれなかった彼女の元から離れ、サンタクロースになるために自宅に戻る。けれどその先で結局彼はサンタクロースになれず、プレゼントそのものにさせられてしまった。
財産権力地位名誉、望めば何でも手に入る。ならば、「幸せな家族」だってきっとその筈だ。サンタクロースは知っている。口にしなくても「本当に欲しいもの」を与えてくれる。
彼の……いや「まなみちゃんの家庭」が、どうかここから幸せになりますように。そうすれば、私達はサンタクロースの存在をいつまでも信じられる。

何となくの「物足りなさ」について

【1月3日追記】
初回観劇が29日夜公演だったのだが、30日以降だんだんとエンジンがかかっていった模様。
12月31日に観劇した際には、29日に受け取れなかった色々なものが全身に刺さって来て、涙が止まらなくなった。けれど「まだいける」とは思っている部分はあるし、初回の感想は残しておきたいので、あくまでも下記の意見は「初回観劇時のもの」と注釈をいれておく。
【追記終わり】


今回作品としてとてもよかった!という大前提の元、私も、身の回りの友人も、なんとなくの世の中の感想も「少し物足りなかった」と感覚がある。
その言葉を発する人間の共通項は「以前より柿喰う客を知っていて、大好きである。」ではないかなと思っている。
「この作品がよくなかった」と言いたいわけではないので、率直に「何でそう思ったのか」を今後の自分のためにも掘り下げていきたい。

キャストの数について
一点目の要素としてキャストの数。
12人というのがきっと多い。まだ情報に頭が追い付いていない。
誰がダメとか誰が要らないとかではないのだけど、単純に「12人いなくてもできちゃいそう」という話がパッと各所から上がってしまうのが、それだけ劇団員の評価であって、今回の少し歯がゆい部分の原因なのかもしれない。

自分自身がもっと皆のよいところがあるのを知っているし、欲張りだからこそそれを観たかったし、その点は「勿体無い!」という風になってしまっている部分があり、けれど「この人が要らなかったなあ」というわけでもない。
ただただ単に、新劇団員の良いとこまだまだもっと知りたいし観たいし、元から組の良いところをもっともっと知っているから観たいし、防御0でいいから攻撃フルオーバーで、胃もたれするほど持ってきて!!という欲張りな感覚に襲われる。
とはいえ今後のことを考えたら「これから先が楽しみだなあ」と思えるからわくわくなんだけど、今回もっと観終わって酸欠になるみたいな、胃もたれになるみたいな、そういう感覚がなくて、少し物足りなさを感じてしまっているのかもしれない。

一緒に観劇していた友人が「屋敷さんはアーティストじゃなくてデザイナー」という例えを用いていてとても納得した。中屋敷さんは、大好きなもののプレゼン能力が物凄く高い。なによりそこを一番尊敬している。
だからもっと劇団員の魅力を知っていて、もっとそれを引き出せる人のはずだから、もっともっと屋敷さんが好きな「柿喰う客」の世界を見せて欲しかったと思っているのかなと思う。

が、しかし。客演なしで12人もいるとなると全員が濃いのでそれぞれに見せ場をつくったら物語が破綻する。もしかしたらこれだけ力量を持った役者が揃っているのだから、今後はチームを二つに分けるとか、選抜で公演を行うくらいがちょうどよいのかもしれない。

緊迫感について
もう一点目。
今回の公演は「色んな人にわかりやすく」作られていたように感じたし、カジュアルに観劇するには間口がとても大きく広げられていた。観た後の感想も、いい意味でも悪い意味でも致死量には到達しない苦しさだなと思っている。

ただ、私は柿のあの喉元に包丁を突きつけられるような緊迫感、心臓を握りつぶされている苦しさ、絶望と希望の先の鬱、演劇という要素が肺全部を満たして息が出来ない感覚を知っている。
だからまだそれらが足りてない、もっと欲しいし出来るのを知っている。こちらも死ぬ気で観に行くから、殺すつもりでかかってきて欲しい…………と、思わざるにはいられなかった。
評価は当たり前にマイナスではなくプラスなのだけど、従来比だとこれはまだ100%ではなく感じるから、初めて柿に触れる人にもそう思われたくないし、本当はもっと行けるのだから120%メーター壊れるとこまで行って欲しい。
例えるならば、身近な人間が100メートル走を10秒で走っていて持て囃されている。それは勿論ものすごい事なのだけど、私はその人間が100メートルを9秒5で走れるのを知っている。
なので「もっと早いじゃん!?それをみんなに見せられるじゃん!?」という歯がゆさが出てしまうのだと思う。もっともっともっと出来るでしょ、と。

けれどこれは手を抜いてるわけではなく、多くを知りすぎたコアなファンのわがままだ。一般大衆に12人の全力をぶつけると、少し重すぎるし、少し濃すぎる。
一般大衆とコアなファンのどちらによるか、その答えはどちらでもない、柿喰う客がやりたいことをやればいい。世間的に今回の構成にしたことが良しとされるか悪しとされるのかはわからないが、私はこの世界の片隅で「もっと欲しかったな」と欲しがった人間だっただけである。

中屋敷さんの作品は、もっと色んなものへのアンチテーゼとか、興味あるものへの揚げ足取りをしている方が、劇作家・中屋敷法仁が作る作品のクオリティは上がると思っている。
その点を考えると、今回の中屋敷さんに悪意が足りないように感じたので、少し今回の公演が保守的に見えたのかもしれない。だからそれだけきっと、素敵な環境で、実力のあるメンバーと共に「守らなければならない」と思う気持ちの元に作品が作られているのだろうなとも思うし、難しいところだ。


色々言ってしまったが、今回は「13名体制になってから初めての本公演」かつ「10周年を締め括る公演」なので、こういった形で美味しいところをさらいながら過去を振り返ったり新しいものを知る、というスタイルとしてはありなのかもしれない。

この「物足りなさ」はヘヴィユーザーだからこそのわがままなので、くどいようだが作品はとてもよかった。役者も全力で挑んでいる。
衣装も、メイクも、音楽も、照明も、客席にいる一人一人も合わせて、今この虚仮威が行われている本多劇場に足を運んで、「古いものと新しいものが入り交じったカオス」「クリスマスと年末年始が入り交じったカオス」を、貴方の目で、耳で、肌で、全身の五感を使って体感して欲しい。
柿喰う客の10周年目はあと一日で終わってしまう。
10年目と11年目をまたぐ柿喰う客のこの新春公演と、柿に感じた事がないこの感情を、どうか1人でも多くの人に感じて貰えたら。
こけのむすまで、虚仮威。