夢は座席で安楽死。

観る→考える→想う→書く。

【舞台】ピピン

ピピン

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@シアターオーブ
2019年6月10日~30日

http://www.pippin2019.jp/


Twitterの再開に伴いブログも再開しようと思いつつ長文の書き方を忘れてしまった。
「ブログを書くための観劇」にならないようにまあぼちぼち書きたいときに書きたいものを!ということで2019年日本版のPIPPINを観てきた話からリスタート。
シアターオーブの2階3階地雷芸人なので1階で観劇をしたのだけれど、やっぱり音がこもるのが勿体ない。視界は良好なのだけどなあ。

前置き

「過去に銀河劇場でPIPPINを観ている」と言うことまでは覚えている癖に、キメピピンを観たのか相葉ピピンを観たのか思い出せなかった。
mixiという太古のツールにログインしたところ、Wキャストで2回観劇しているらしいのだが当時の感想がどこにもなくて「しっかりしろ!」となったのでやっぱりきちんとまとまってなくても文章を残しておくのは大事だなと痛感させられた。
銀河の一階のK列辺りの上手側で観劇したのは覚えてるんだけども惜しい。

当時はテニミュからの流れで上島先生演出の元、初代立海が好きな友達に連れられて中河内氏を観てね!と言われて観に行ったのも記憶がある。
流石に11年も前なのと当時はわりと周りのお姉様達に教えてもらって色んなものを観に行っていたなあ、今の自分はすこぶるこじらせてんな!という気持ちになる。
あの頃も「Magic to do」のイントロで背筋をぞくぞくさせていたし、一度聞いてすぐに大好きになったし、しばらくずっと何らかで楽曲を聞いていたし、何かあると口ずさむ位には好きだった。
ネルケ版は「奇跡起こる場所へ」と訳されていた歌詞、今回は「奇跡のひととき」と訳されていたのもあるので、以前観たものと今回とで訳詞の比較とかしたいけれどどっちも資料がないのが残念!

2019年版のはなし

そんなこんなで事前知識がぼんやりある私は、今回珍しく母と一緒に観劇に出掛けたのだが「ボブ・フォッシー特有の狂言回しがいる所や、逐一セリフで現実に引き戻してくる辺り、中屋敷さんの作品の感じに通ずるものがあるよね」と言われた。それに尽きる。
結局自分は演劇に虚構の世界を求めるわりに、どこかそれを現実に当てはめたいのだ。一番夢見がちなのかもしれない。

新演出版をはじめて観たのだけれど、サーカスやアクロバットも合間って「パリピピピンだ!」となった、何を言ってるかよくわからない。
いや、この作品は終わり方も含めて起承転結がパッキリしているものではなければ、客席全員が納得する超ド派手なグランドフィナーレが有るわけでもない。作品の評価が賛否両論なのもわかる。
ただわたしはこの物語の最後が大好きで、だからこそなんとなく静かに「演劇でっせー」としている印象からのあのラストに持ってくるのがナチュラルなのかなと思っていたのだけれど。
ここまでド派手にやっておいて、ある種上げて上げて落とす!位のあのラストはお見事と言わんばかりだった。

案の定近くの席に座っていたマダム達は納得がいかなかったようで「最後はなんでああなの」なんて話をしていたけれど、わたしは!あの!ラストが!好きだよね!!!!となった。
まあわかる、答えを見つけてハッピーエンド!という方が落ち着くよね。
と言うくらいにこのピピンはそのギャップがありサーカスやアクロバットのアプローチがあるからこそ途中まではある種万人受けするエンターテイメントなのに、要所要所に散りばめられた素材や最後の流れに関しては完全に「浸かっている人間」のためのものだと感じた。
そこも含めて何もかもが「良い」でしかない。

というのもリーディングプレーヤーという立ち位置が好きだ。狂言回しと言う奴。
この存在はどんな作品においても演劇空間の舞台と客席の間、第四の壁をすり抜けては行き来する事が出来る特殊な立場であると共に、演劇空間にしか生きられない奇特な生き物だ。
ピピンの作中に出てくるリーディングプレーヤーも、最初は夢を見させてくれる魔法使い、それが途中からは見ようによっては悪者にも見えれば、夢を見るものにしがみつく弱い存在にも見えてくる、そんな彼女達が私はいとおしくてたまらない。
どんな奇跡を起こす事が出来ても、魔法の世界に誘う事が出来ても、それを望む人間がいなければ意味がない。

なんだか「演劇」と言うものを与える人達にも通じて、今この座席にいる私こそが作中のピピンと同じ「特別な何か」を求めて劇場にいる事と構造は同じで、必要がなくなったら……と思ったら、胸が痛くて、涙が出てしまい、テオが彼らに「奇跡」を望んだあのシーンで、「誰かが必要とすればショーは続くんだ」とボロボロに泣いてしまった。
チケットを買おう、劇場に足を運ぼう、特別な何かを手に入れにいこう、と何度も何度も思った。

そんな魔法の世界を望む私的には、2幕の「ありふれた幸せ」を見つけてリーディングプレーヤー達を不要とするくだりが結構しんどかったので思えばずいぶん遠くまで来たのだと思う。
けれどそれもひとつの正解とした上で「だからハッピーエンドだよ」ではなく、「それでは貴方は何を選ぶ?」と問いかけ誘うこの作品は、やはりとても大好きなのだ。
ああ、なんだかとっても共依存!とも思ったりもした。

その他ぱらぱら

とにかくまあサーカスやアクロバットが素晴らしかった。
生オケミュージカルとこれらの要素を組み合わせようと最初に思い付いた人は凄い。ある種のテーマパーク力を感じた。
わくわくドキドキさせる仕掛けがいっぱいで、次は何が飛び出してくるのだろう?と心が高ぶった。
諸々の演出が興味深いものばかりで、実際の演出部は裏でどう動いているのか……と、とても気になった。物凄く大変なのでは。

またキャストの全員が「お客様を楽しませよう」とするパワーが素晴らしく、それが気持ちだけでなく当たり前にパフォーマンス全面に出ている事でまた涙したりしていた。
「楽しませようとする人達」と「楽しむ人達」によって完成する作品、愛しすぎるではないか。
特に中尾ミエ氏の73歳とは思えぬパフォーマンスにはその場でスタンディングオベーションをしたいほどに素晴らしかった。

あと途中で何かがごっちゃになってTwitterで一瞬「城田演出」と書いてしまっていたのでここでお詫びして訂正すると共に、とはいえこれ城田発祥だろうかみたいなあれこれは本当に小池修一郎イズムを感じた。
ヒルの名前がエリザベートなのは腹筋が死んでしまったから勘弁して欲しかった。
城田演出でロミジュリをやる日が来たらスマホが出てくるんだろうなと謎にワクワクしたのでそんな日が来たら良いなあ。


演劇作品は数多くある。
けれど自分が「これが今観たい」と選んだ作品は大体がその時の自分に必要なメッセージを届けてくれる。
その「今欲しいものを選べた」事がやっぱりなんだかとても嬉しいし、呼ばれていたのだなとも思う。
「特別な何かをやり遂げたい」と思いがちな私は、作中のピピンのようにありふれた幸せを見つけて落ち着く事はまだないと思う。
けれどそんな風にもがきながら、沢山の夢と奇跡と魔法を日々実感しつつ、そんな世界を見せてくれる誰かに感謝しながら生きていければ良い。