夢は座席で大往生。

観る→考える→想う→書く。

【フランケンシュタイン】北極という夢の中で

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フランケンシュタイン東京公演お疲れ様でした!!!!!!!
東京終わっちゃった!!!!!!!!!!

色々一生懸命考えたけれど名古屋も大阪も厳しい日程だったので、私のフランケン2020はここで終わり。
観たい!という気持ちもあったけれど、悔いなく最期まで見守れたのではないのかなあ。
結局観劇したのがかきこに5回のあきかず1回。
かきこにが何故こんなに刺さったのか、何が凄かったのか、東京楽やばかったんだよ!!みたいな話がしたいので、まとまらない頭をぐるぐるさせて、自分の中の熱量が覚めないうちに文章を書く!!!


東京かきこに推移

とは(とは)。

かきこに初日が1月9日の昼公演、それを見終わった後速攻で12日昼のチケットを抑え、後どうにかならんのか!!!と暴れながら気が付いたら23日、29日、30日のチケットが増えていた。
どうにもならなかった17日と19日のどっちかだけでも観たかったーーー!!と思いつつ、ざっくりこんな印象(※個人の体感です)。


1月9日「とてもよいお芝居」
柿澤・小西両名のフランケンシュタインの初日を飾るのに素晴らしい出来と言える「お芝居」だった。
この時は本当にただお芝居として観ていたし、その後もお芝居を観るつもりだった。…んだけどなあ!?!?!?


1月12日「呪い」
ここでいきなりもう小西アンリだった(?)。
9日の時点で「今回のこにたんいいなあ~」と思っていたので思わずオペラで観るタイミングが増えたのだが、がっつり心をつかまれてしまう。
1クール目のかきこには「絶望」の色が強くて、小西アンリに呪いをかけられたような回だった。
柿澤ビクターは苦しんでいて、世界に許し合えるのはお互いだけなのに、まだまだすれ違っているように感じた。


1月23日「慈愛」
2クール目の小西アンリは明るくてポップ(当社比)で、9日&14公演連続公演の最終日に当たる23日は演者全員満身創痍で、柿澤くんも普段に比べてちょっとペースがつかめていないように感じていた。
しかしとにかく明るい(当社比)小西アンリ。
12日の断頭台の時の顔どこいった?というくらい、お前が太陽だろ!というくらい、明るくて、儚くて、全てを許す、迷子の柿澤ビクターの手を引いて、一緒に迷子になってくれるような小西アンリ・怪物だった。
余りにも小西アンリが明るいから、失った後の柿澤ビクターのぶっ壊れ方が観た中で一番やばかった。


1月29日「執着」
お帰りなさい闇小西アンリ!!!!暗い、暗いねーーー!!!!

29日からもう(いつにも増して)小西アンリは柿ビクターのことしか見ていなかったし、どうやって一緒に地獄に堕ちるかを考えていた気がする。
この2人のこれからをまだまだ観ていたい、もっと観たい、と思わされるくらいには辛いけれどカジュアルさがあり、そろそろ「こにたんのアンリ解釈考察会」に出席しているだけなのでは?と思ったりしていた。

柿澤くんが超絶元気に戻っていたので凄くバランスがよくて、演目としての完成系はある意味ここかも。


1月30日「感情と共鳴」
東京楽。
私はきっと芝居なんて観ていなくて、”小西アンリ”という人間の感情や記憶をただただ追体験させられる地獄の3時間だった。
「かきこには地獄」という言葉、この日にこそ発動すべきだった。

東京初日の誰が観ても絶望!!!な地獄もあれできつかったけど、東京楽の完全に2人(ビクターとアンリ)にしか理解できない地獄に対して、地獄であることはわかるけれど何がなんなのか解らなくて傍観者にさせられるのキツさしかない。

辛さ自体は同調させられてるのに第三者にさせられてるとは??モブとしてあの世界に存在させられてたのだろうか、みたいな不思議な部分があった。
まだ心の中に小西アンリがいる。


まとめ
3クール5公演を経て、私はそもそも柿澤勇人という役者が好きなので、ビクターの話として観ていたし、ビクターの生い立ちや努力・孤独などに涙をして「物語」を楽しんでいたはずなのに、気が付いたらそんなビクターに優しい手を差し伸べる小西アンリの存在にどっぷり依存してしまい、小西アンリに心を乗っ取られていた気がする。

うまく説明が出来ないのだけれど、小西アンリというフィルターを通して、一緒に柿澤ビクターを愛していたのではないだろうか。どうなのかな。


小西アンリが強くなるにつれて、小西怪物もどんどんアンリになっていくし、柿澤ビクターは幼児退行していくように見えた。
初日の柿澤ビクターは大人だったけれど、第二クールで中学生くらいになっており、29日は小学生くらい、東京楽は始まった時は5歳だったけど最後は3歳くらいになっていた。
それくらい精神と芝居を預けてやっていたのかなあと思ったりなんだり。
小西アンリは柿澤ビクターにとっての母親だったのかもなあ。

1ヶ月もない公演期間でここまで変化していくものが観れてとても楽しかったし、幸せだった。
今回のキャスケが意味不明すぎて、なんでかきこに平日マチネばっかりやねん!!!と思いながらも、偶然1月の平日昼だけ時間があった私のためだったのかもしれない(そんなことはない)。

小西遼生のかける魔法

今回の公演で「女優・小西遼生」という概念が爆誕してしまった。
いや女優だよねっていう話は前々からあったのだけども。
立ち振る舞い、泣き方や微笑み方がとにかく女優なんだよな~!股下3メートルある顔が一番いい女優!!!という図式がこの公演ですっかりまとまってしまった。

フランケン期間、基本的にこにたんの書いた二次創作かはてブ考察エントリの新作を読みに行っていた気がする。新しい解釈をくれ!!頼む!!!解釈オイシー!!!みたいな気持ち。


そんな中でこんなツイートをしたのだけれど。


「かきこにのしてるキャッチボールが心地よい」「キャッチボールっていうか絶対に取るドッチボールというか」みたいな話をしている時に超高速餅つきの話が出た。
こにたんが餅をひっくり返す人で、柿澤くんが杵を振り回してる人。


柿澤勇人という役者を好きになって早5年が経とうとしているらしいのだが、30代になっても、何年経っても、いつまでも柿澤くんの演じる役はがむしゃらで、不器用で、ピュアだ。
屈折している役がどこまでも似合う。どうかそのままでいてくれ…。とかいう私の祈りはおいておて。

色々な作品を観ている上で、柿澤くんはどこまでも主役体質だけれど、その軸になっている柿澤くんの世界や演技プランをグイッッッと広げてくれる人が1人でも座組にいると爆発的にその闇が広がる。

そして柿澤くんは女性相手よりも、男同士の方が自分の役の何かを広げるのが上手い。
ヒロインよりも親友役やらライバル役やらの役者と上手くマッチした方が、柿澤くんの持ち物(で、私が観たい部分)が光る。
ので相方なりなんなりでうまーくそこがマッチする共演者がいると、より柿澤勇人という役者を観るのが楽しくなる。
(めぐさんの場合はもうそれ別の話なので一旦置いておこう。)


そこで現れたのが小西遼生なわけですよ!!!(?)
フランケン期間に初めて「こにたんを多ステ観る」という事をして、今まで全然この役者の魅力を全然知らなかったんだな~と痛感させられた。
顔がいいだけでも股下が3メートルあるだけでもなかった。

こにたん、とにかく視野が広くて舞台上の皆の動きや変化に気が付いているし、その上で相手の欲しい物を与えて、自分の最善のやり取りを引き出すのが本当に上手い。
相手を立てているようで、自分にもやりやすい環境を作り出す。

かきこにの世界を丸ごとをハンドリングしてたのは間違いなく小西遼生だった。
そんなこにたんのお陰でめちゃくちゃやりやすそうな柿澤くんの芝居を観られて気持ちよかったし、そもそも演技プランの相性がよかったのか「物凄くしっくりきた」。
相乗効果で2人の芝居がどこまでもよくなるし、ラスト2日は2連続なのもあったから、この2人がシングルで永久にやり続けたらどこまでいってしまうのかと心配になったから観てみたいものですね。


そして、こにたんは自分が把握している舞台上の空気感をつかむのがまあ上手いこと上手いこと!!!
そしてただ円滑に物語を回すだけではなく、じわじわと自分の呪いを混ぜこんでるのが凄い。
どこに隠し持ってたんだその能力。


今回、女優陣が前に前に出ない演技プラン(と、あれとこれとそれと)になったことにより生まれた行間とヒロインの座に、物凄く上手くこにたんが入って、そしてその行間をぎゅーーーっと埋めた気がする。
初演でえぐかった柿澤ビクターのエレンへの依存も、そのまままるごと小西アンリが請け負っている気がした。
柿澤ビクターと小西アンリの闇が広がったのは、確実に今回のキャスト変更によってエレンの立ち位置が変わった事により起きた何かだと思うので、キャスト変更あれこれに思う事はあれど、きっとこれめぐエレンだったらこうはなってないだろうな~と思っているので、とりあえず一旦これでよしということで。


フランケンにおいてアンリ/怪物役に小西遼生を起用しようと考えた人、あまりにもよくわかりすぎているし、音域の壁を潜り抜けてここまでアンリ/怪物だった小西遼生本人も本当にすごい。
お陰様で「この柿澤勇人が観たい!2020」欲が満たされてしまった。
かきこに初日に観に行った自分をもう一度褒めたい。偉い。

主演:アンリ・デュプレ西(女優)

問題の(?)東京楽の話。

観た方はおわかりになると思うんですけど「主演:小西遼生」でしたよね!?!?!?!?
というか「主演:アンリ・デュプレ西(女優)」だったな!?!?!?!?

何が言いたいかというと、前述の様なこにたんハンドリングにより29日までの芝居が円滑に回ってるな~~と思い込まされていた私は、30日にこにたんの本気を見誤っていたことに気が付いた。
30日の東京楽こにたんの本気、こにたんというか、小西アンリの本気が異常で、舞台上も客席も役もすべてすべて、小西アンリに呑まれていた。
この境地でどこに残ってたんだその気力と熱量と呪い。


こにたんがどう、とかではなくて本当に「小西アンリの意志と感情」にめちゃくちゃ呑まれてしまって一幕は頭がどうにかなるかと思ったし、背筋のゾクゾクが止まらないし、呼吸が浅くなってしまった。観劇しててそんなことある?


最初にアンリが登場するシーンで既にもう感情が爆発していて、いうならば「東京公演終わって欲しくね~!」みたいなフランケンゾンビの感情とリンクするかのように、「終わりたくない・離れたくない」とまだビクターとも出会ってないのにこの世界が終わる事を苦しいと感じているアンリがそこにはいた。背中から全部出てた。


そして一幕の「ただ一つの未来」でこにたんが歌詞をぶっ飛ばしてしまったのだけれど、それも歌詞が飛んだというよりかはもう感情と魂が先に行き過ぎてしまって、気持ちがビクターの方に行き過ぎてしまって、言葉よりも情になったのではないか、と思えるくらい、「ミス」ではなくて、何かだった。いやこれ不思議体験すぎて言葉にならん。

「ミスっちゃったけど感情でカバーしたね」とかじゃなくて、本気でビクターと出会えた事の何かの感情が先行して言葉が置いてけぼりになってた。
「アンリを演じている小西遼生」ではなく、「アンリ」がいた。
その小西アンリの気迫と空気に呑まれて舞台上も他のキャストも結構どよどよしていたというか、劇場まるごとぐらついていたのに、柿澤ビクターだけは居心地よさそうにどんどんのびのびしてくのがこのペアの心底怖いところだと思った。


そして小西アンリ一人のシーンでずーーーっと体中鳥肌が立っていたのだけど、柿澤ビクターが出てくると治まるんだよ、何それ?
ちなみに小西怪物になってからは「終わりたくない」とか「孤独」とかの感情はなくなったし、ニコニコしながら見てた。
フランケンシュタインにおいて「早く二幕が観たい」と思わされることなさすぎるので、どういうことだったんだ本当に。


これ、アッキーの場合は自分自身にアッキーが考える"ビクターの思想は正しい"というなにかがなだれ込んで来てボコボコ殴られたとこがあったけど、こにたんの場合は"小西アンリの思想や感情"がなだれ込んできた。
「小西アンリ」という人物が非実在なのに、その人間の感情を同調させられる謎の現象、こにたんも異能力使いだったのか…としみじみ思った。


1クール目は登場人物の誰かに感情移入したり、歌や言葉に感動したり、ちゃんと「お芝居を観て自分の感情が揺れる」というので涙を流していたのだが、29日と30日に関しては何がなんだかわからないままにずっと泣いていたし、死ぬほど頭がぐらぐらしたし、30日はアンリの悲しみも苦しみも孤独も背負わされてしまった気がした。
なにこれ?現代における何かの呪い?


前回に続いてオカルトの記事になってしまっている所があるのだけれど、本当にとてつもない体験をした。
小西遼生ってとんでもない役者なんだな…。今気が付くなよ。
かきこに、柿澤くんが元気元気で振り回してるように見えたけど、完全にこにたんが主導権もって物語ハンドリングしてたの本当に怖かったし、その上で自分が一番やりやすいのは柿澤くんが元気元気やってる上での「アンリ」なのを解ってやってるのも物凄く怖かった。
でもやっぱりその怖ささえも乗りこなして、というか心地よさそうに全部預けて全力出してた柿澤くんも凄かったし、「演技の相性がよかった」としか言えない。すごい。


29日の時点で散々「後100回観たい!!!」と騒いでいたのだけれど、もういい、もう納得した、もう大丈夫、柿澤ビクターと小西アンリの話ってどこまでいっても、地獄の濃度の変動はあれど、この方向性だから大丈夫だ、とめちゃくちゃ安心したし、気持ちよく終わることが出来た。


いや~~~こにたんの演技とか思想をもっと観てみたい、と思わされたし、かきこにが演じる別の作品も心底観たいと思わされてる。
スリルミー…。


かきこにってハッピーエンド!!!

世の中的にはメリーバッドエンドって言うのかもしれないけど。
柿澤ビクターも小西アンリも魂レベルで「一緒にいたかった」といっていたので、一緒にいられてよかったね!ハッピー!!!と思ったし、それが自分達だけの納得じゃなくて、「明らかにそう」だったんだからハッピーエンドでしょうが!!!!(錯乱)

ちなみにこの記事で「小西アンリ」と表記を統一してるのは、東京楽の小西怪物は完全に小西アンリだった(アンリと怪物が別の人格ではなく一つの何かだった)と受け取ってるので統一をしてる。
こちらの怪物の時の記憶がなくなった可能性もある、アンリの印象がえげつなすぎる。


かきこにのフランケンシュタインって、友情の話でも復讐の話でもなくてただの恋愛だし痴情のもつれというか盛大に周りを巻き込んだ愛を確かめるための痴話喧嘩だったのでは(特に最終クール)と思っている。


通常のフランケンにおいては「二幕嫌だ」と叫んでるのが通例なのだけど、29日と30日のかきこにに関してはとにかく早く二幕になってほしかった(30日は休憩中の記憶がない)。
早く救いが欲しかった。
救いとは?という感じだけれど、救いだよ、2幕が救済なんだよかきこに。


柿澤ビクターの「夢」は小西アンリと一緒にしか見られなくて、だからどちらか片方だけが生き残っても結局意味がなくて。
あの時「一緒に生きたい」と願って言葉にしていたら何かが変わっていたかもしれないけれど、その道を共に選ぼうとしなかった2人の罪は同等に重くて、お互いがお互いを心で縛ったまま離れてしまい、その2人が再び北極で相対し、お互いが背負った罪の十字架を認めて、そして互いに十字架を降ろす。
お互いがお互いを認めて許し合う事に、こんなに時間がかかるものだろうか、と思わされるけれど、きちんとそこにたどり着いてよかったよね。

それくらい北極のシーンに物凄い救いがあったし、観ていて幸せだった。
「良かったね」としか言えなかった。
夢の続きは、想い描いたものとは違ったけれどたしかにそこにあったよね。
これからは2人で楽しく暮らしてね…みたいな気持ちにしかならなかった。


小西アンリが歌う「孤独な少年の物語」が東京楽の丸丸3時間で、神がお守りくださったのが最後のあのシーンなんだよ!って思うと、
ハッピーエンドじゃんなあ(ため息)。


まとまらないまとめ

わたくし、普段わりと視野が広い事に定評があるんですけども、今回ばかりはすっごい視野が狭くこの物語を楽しんでいた気がする。
眼球と思考が超単焦点になってた。

脚本がどう演出がこうあのキャストが何とか、色々あったと思うし色々言われてたのも把握していたのだけれど、それももう全部どうでもよくなるくらいに柿澤ビクターと小西アンリしか見えていなかったし、その2人の事を考えていられたらそれでよかった。
結構本格的にあそこは納得がいかなくて、ここはこうで、あれはどうで、みたいなのがあるし、気が付いてないわけでもないし、口を開けばべらべらと出てくるのだけれど、最早マイナスの要素を考えるくらいなら2人の幸せを1秒でも長く祈っていたい、みたいな気持ちにさせられるってどういうことよ。


そういう風にこの作品を見せてくれたのは紛れもなく2人の力量で(Wの2人も勿論)、その上で他の演者やあれやらこれやらの感想もまだまだあるのだけれど、一旦東京楽の感情を吐き出さないと終わらないのでかきこにの話はかきこにの話で終わる。
というかジャックの話とかもしたいし、ビクターがどうこうの話も全然出来てないし、アンサンブルとリトルズのここがよかった!とか、このくだりって結局…?みたいな話もしたいのだけど脳内が本当に小西小西小西になってるから一旦こにたんの話をしないとね、脳がね、整理されないのよ。
すでにこのエントリがすごい長いから一回まとめようね。


しみじみと、自分が共感して共鳴するのはこにたんみたいな役者だし小西アンリみたいな役で、理解とは別に惹かれるのが柿澤勇人みたいな役者と柿澤ビクターみたいな役なんだろうな~と思っている。
柿澤ビクターの性格、物凄く好みだからなあ!!!!!こじらせている!!!!!


2020年のこのタイミングでこの作品をこんなにも愛せたのは紛れもなく柿澤くんとこにたんのお陰だから、本当に本当に本当にありがとうございますとしか言えないし、この2人が作り出す世界をもっともっと観てみたいのでまた共演して欲しいなー!!!

小西私×柿澤彼、柿澤私×小西彼のスリルミーを頼む!!!!!!


アッキーと和樹、リトルズの4人、シングル・アンサンブルキャストの皆様も怒涛のスケジュール本当にお疲れ様でした!!
名古屋と大阪行かれる方は楽しんできてください~~~~~!

これ以上の地獄を作る気なら本当にどうかしてると思う(大声)。