夢は座席で大往生。

観る→考える→想う→書く。

【ひとりごと】「客席で参加する」ことについて

 
少しずつ観劇をする日々が戻ってきて、劇場にいて常日頃思うことを色々一旦吐きだし。

誰に向けてというより、啓蒙がしたいというより、最終的には自分に向けて自戒も込めて書き記しておきたい。

書いてて気が付いたけれど、今のバチバチにサービス過多で商業コンテンツ!!となってる日本の興業には当てはまらないものもあるかもしれない(それが寂しいなという話でもあるんだけど)。
いわゆる「自己表現」とか「他者とのコミュニケーション」とか「思想の相互提供」とかを目的とする演劇について、観"客"である事に傲っていないかという話をたらたらとする。


演劇は「与えられるもの」なのか

昨今の観劇に対して、「高い金を払って楽しい時間を与えられるもの」だと思っている人が増えすぎてる気がする。
演劇のチケットというのは、「その日その席に座ってその作品を観る権利」であって、その作品が面白いかどうかの保証はされていないし、神様のようにちやほやされて過度なサービスを受けるための代金ではない。
その時間をよくするか否か、観た作品をどう消化するかは、結局のところ観劇をした自分次第である。

舞台上が客席にいる人間を生かし、客席が舞台上にいる人間を生かしている。ただそれだけの事。
全員が平等で、それぞれが役割分担をして「劇場」というひとつの場所に集まり、同じ時間と同じ作品を共有し、それぞれ別の考えや感想を持つ。
そこに”参加するため”の代金なのではないだろうか。
ワークショップの参加費を払っているが、そこから何かを得られるかは自分次第……というような感覚で私はチケットの代金を支払っている。

「損したくない」と思う人(これは今の日本人の大半では?)は、正直演劇を観るのは向かない気がする。
つまらないものを作ろうとするクリエイターは少ないし、皆が皆面白いものを作ろう!豊かにしよう!社会に言いたい事があるぞ!と、剣ではない自分なりの武器を手にして120%で戦っている。

けれど生きている人間の思想が百人いれば百人違うように、面白いと思うものも、訴えたいものも、感じるものも異なる。
それを「万人に向けて面白く作る」事なんて不可能である。

そして、自分が持っている価値観や感性は誰にもわからない。
「作品を作って上演する」までが興業元が行う提供であり、それを受けてどう思うか・どう生かすかはすべて自己責任だ。
だから、自分の事を抱き締めてくれるような作品を《自分の力で》探しにいくのでは無いのだろうか?

世の中が、そこのフェーズを怠って「確実に面白いものを与えてもらう」事を待ちすぎ、そして自分を満たせなかったものを叩きすぎているのではなかろうか。
そんな事をし続けていると、結局何も残らなくなってしまうのだけれどな。

つまらないと感じる作品と出会った場合の責任はどこか

「こんなクソつまんねー舞台作りやがって!」

……と、作り手を否定するのはいとも容易いが、そんな事をしているといつまで経っても自分は受け身の状態になってしまう。

今目の前で観た舞台を「クソつまんねー」と感じるのであれば、その中の何がつまらなかったのか・合わなかったのかを自分なりに噛み砕いて、そして次以降それを選択しなければいいだけの話で、より自分にとって居心地がよい作品に出会うためのヒントになったと捉えたらよいはずなのに、与えられる事に慣れすぎた私達は平然とした顔で《自分をつまらないと思わせるものが作られた事》を否定する。そんな権利、誰もないのに。

自分がつまらないと思う作品と出会った責任は、その作品を観ると決めて行動した自分にある。作品が生み出された事には何の否もない。
そして同時に、その体験を生かして今後の人生を生きる権利が自分自身にある。
自分の考えと行動、そして視点のスイッチ次第で、いくらでも損にでも得にでも変える事は出来る

責任を誰かや何かに転嫁するのは簡単だが、その帳尻はいずれ自分に回ってきて自分自身を苦しめる。
人生はすべて自己責任だ。それを忘れてはならない。
自分も、他人も許して生きた方が楽なのではないのかな。

今の世の中を見ていると、他人に厳しくしすぎた結果、自分も許してもらえない社会を皆で作って、皆で苦しんでいるようにしか見えない。
そしてそれをエンターテイメント・娯楽・自己表現の場にまで持ち込んでしまったら、どんどんと息が苦しくなってしまう一方だ。
一度肩の力を抜いて、自分にも他人にも優しい考え方が出来ればいいのにな。と、思う。

自身が「何を求めているか」を把握する事

12年前くらいまではチケット代も今より3,000~5,000円安かったし、客席側もまだまだ気持ちに余裕があるように感じたし、その時の自分に合わないものとエンカウントしてもヘラヘラしていた気がする。

今はもうとにかく不況に次ぐ不況に次ぐ不況で、どうにもチケット代が高く「外せない」と思わせてしまうからこそ、合わないものと出会った時の怒りが当たり前になってしまってるのだろうか。


後は、主に若い客層に向けての作品で《消費者搾取の為のテンプレートに添った演劇のような何か》が増えて、いわゆる「推しが人質に取られてる」作品も乱立するようになったからかなとも考えてる。

演劇は、どちらかが搾取するものではなく、互いに歩み寄って共存するためのツールだと思っている。
なので、その前提がない状態でただの商売道具になっている公演や、稽古期間が短いのに本番を迎える公演を私は好まない。
しかし、それらが蔓延るという事は今の時代にとってそれらが必要なものだろうとも考えているので、存在の否定はしない。場合によってはそういうものを摂取したくなる時が私にもある。

ただ《それとこれとは別》と言う認識や、見分ける目は必要だ。

自分が誰かと心を通わせるために・自分の思想と近い世界を垣間見て感動するために劇場に行くのか、それともお金を払って消費をして高い買い物をして満足感を得るような体験をしに行くのか。
自分自身がどちらを求めていて、そして今目の前にある作品はどちらを与えようとしているのかは見誤ってはならない。

それらは、似たような形をしているからこそ、選択を間違えると自分が埋めたい心の空虚は一生かかっても埋められなくなり、どんどんと負のループへと入り込む。
ボーダーラインが曖昧になっているからこそ、己を知って己が求めているものを与えてあげる必要がある。
そして何を己が求めているかを知る為に、沢山の人の価値観に触れるのだ。
演劇はその為のひとつのツールである。だから私は劇場に足を運び、様々な作品を観続ける。

何かの作品を観て、何も得られなかったと感じた時は、「そもそも自分が理解している自身の前提がズレているのかもしれない」という疑問を持つのもよいのではないだろうか。


「推しがこんな仕事をしてくれたら……」と与えられるのを待ってしまい、自分を苦しめているファンが増えた気がする。
今、目の前で推しが自分心を満たすような作品に出演していないのであれば、それはそれで一旦置いて、自分を豊かにする作品と出会った方がよい
そうでないと、どんどんと「与えられない事」に対してストレスが溜まってしまい、自分が求めていない作品を観る事に対して「やってやってる」感が出てしまう。
その作品を観る事は義務ではなく、自身の選択であり、勿論観ない権利だってあるのだ。そこは間違えてはいけない。

そもそも「推しが人質に取られてる」作品を撲滅したかったから、皆で一斉にボイコットするのが一番なんだと思うんだけど。
まあこれは話がズレるからまた今度。

観"客"である事を傲るな

作り手や演者がよく口にする「観てくれるお客様がいないと成り立たない」という言葉がある。とても大好きな言葉だ。
けれどこれは、あくまでも対等なパズルの最後の1ピースが客席に座る我々観客であり、参加して目撃した事への感謝である。と、私は思っている。

決して、観客は「消費してあげている」訳でも、「与えられている」訳でもないのだが、なんとなく勘違いしている人が多いのかなとも思う。
劇場にいる人間は誰でも等しく平等であって欲しい。


たとえば、劇場にいるスタッフが親切丁寧に座席の場所を案内してくれたり、ブランケットや双眼鏡を貸し出してくれたり、小劇場等で予約の際に事情を伝えたら体に負担がかかりづらい席に配席したりしてくれる事。

何故こんなにも親切にしてくれるのか?
それは、決して観客が神様だからではない。
あなたが特別だからでもない。

自分達が作り上げた表現を少しでも快適にキャッチして貰う事や、観劇を心から楽しんで貰う事で、それがゆくゆくは自分達の為になるからだ。
観客が特別な存在だからやってくれている訳ではないという事を、忘れてはならない。

あくまでも皆、自分自身のためにやっていて、その結果観客であるこちらが助かっているのだからWin-Winな関係で、その間で交わされる言葉は「ありがとう」であって欲しい。
金を払っているからと横暴になっていい事など何一つないし、何でもかんでもクレームを受け止めて解決する事は「豊か」とは真逆の方向にコマを進め続けてしまう。


宮本亞門氏の著書「上を向いて生きる」にも、劇場におけるサービスとホスピタリティーの違いについて書かれていた。
とても面白かったし、「そうなんだよな!!!」と夜中に大きい声を出しそうになった。

きっと、お客さんだって「サービス」という名のもと、王様のように祭り上げられるより、友達のように扱ってもらいたいのでは、と思うのですが。

ホスピタリティーとは、同じ人間だからこそ、その状況において、マニュアルとは違う最善の対応をすることです。誰に対しても同じなら、単なるサービスで、ロボットでもできるでしょう。

宮本亞門著「上を向いて生きる」より

世の中の人がどうだかは知らないけれど、少なくとも私はこの考えに近いと思った。もっと詳しい話や、その他楽しい話も沢山なので、詳しくは本を手に取ってどうぞ。

私が劇場に求めているものは人と人とのコミュニケーションや「自分にしか出来ない関わり方をする事」なので、高い金を払ったからといって、演者や作り手やスタッフにちやほやされたい訳ではないのだ。

そういう事をされたいのであれば、そういうサービスが他にいくらでもあるので、わざわざそれを劇場でやらなくてもいいのに、と、最近ひたすらに思う。
というか、やる事自体はそれぞれの自由だから構わないのだけれどそれがスタンダードにならないといいなと願っている。

参加をして当事者になること

上の話に引き続いて。

私が劇場で観劇をする際に求める事。自分の関わり方。
それはひどく単純な事で、客席にいる参加者の一人として仲間に入れて欲しい。それだけだ。

その為にチケットを取って、客席と言う自分の参加スペースを確保する。
その参加した先で同じ時間を共有する人達がより豊かな時間を過ごせる為に、自分が手伝える事や協力出来る事は勿論したい。

だから指標として示されているルールは守るし、守れていない人には「嫌だなあ」と感じるし、不可抗力でも迷惑をかけてしまった時はとても心苦しく思う。
だって、私は蚊帳の外にいる傍観者ではなく、当事者だから
仲間にいれて貰うからこそ、自分にも責任が生じる。それは当たり前の事だ。

このちょっとした緊張感があるからこそ、自分に合った作品に"参加出来た"時に、言葉では現しきれない多幸感に襲われ、涙が止まらなくなる。
この感動と出会うために、その時の自分に合った作品を探すのだ。もちろん自分自身で。

自分で努力をして出会ったもので感動を覚えたら、自分自身を認めて褒めちぎる事が出来る。
それと同時に、その作品を作り上げた人達への感謝と敬意で胸がいっぱいになる。
観劇体験というものは、そういう素敵な気持ちで自分や他者の心をいっぱいにするためにあり続けて欲しい。
皆がそういう気持ちを持てるようになれば、それはとても豊かな世界になるので。


2020年10月時点での劇場は、観客にとっても制約や負担が多い場所になっている。
けれど皆で割りを食って、皆で感動を共有して、皆で幸せになれる場所でもある。
色んな制約や注意・お願い事を面倒だ不便だと思わず、「参加者として協力出来る事が増えた」と喜びながら、自分が当事者になるその作品を心から楽しめる人が増えたら嬉しい。

そして作り手も観客も双方で「協力してくれて・出会ってくれてありがとう」と思いあっていきたい。
まだまだ何一つ気が抜けず、次の瞬間何が起きるか解らない世の中だからこそ、劇場から提供されるエンターテイメントが人々の心に灯りを照らす物になるように。
少し面倒でも注意書は読んで、劇場現地でスタッフが語りかける言葉には耳を傾けて欲しい。
一人一人の協力で成り立っている場所なのだから。

私は、別にガチガチにルールやマナーを守れ!!!と日頃から叫んでいるタイプではないし、他人に迷惑がかからないのであればグレーゾーンは各々自由に設定したらよいと思っている。
けれど、今回ばかりはどうしたって平時ではない。一歩間違えば、そのすべてが奪われてしまう可能性がある。

だとするならば、普段アウトローの人間も、バシバシに規律を重んじる人間も、一旦は休戦して協力し合いませんか?他でもない、自分の為に。と、思ってしまうのだ。

だからこの文章を読んだ方が、読む前と比べて、同じ空間を共有する誰かに今よりも少しだけ優しくなったら、嬉しいな。

おわりに

本当に毎日息がつまる思いでいっぱいで、苦しくて苦しくてたまらなくなる。
それと同時に、劇場に足を運んで観劇をしている時間が幸せで幸せでたまらない。

私は演劇が好きで、この文化を守りたくて、これからも愛し続けていきたい。
だからこそ、クリエイターも演者もスタッフも観客も、それぞれリスペクトと思いやりを持って、これからも共に豊かな空間や体験を作っていけたらよいなと思う。
それは、私一人ではどうしたって作り出せないものだから。

今は観る側も作る側も大変な時で、皆が皆で割りを食いながら、それでも自分達の大事なものの為に一生懸命やっている。
私達は全員味方で仲間だ!なんていうとクサいけれど、たまにはそういうのもいいのかなとは思う。

だから、もう少しずつでも協力し合えて、支え合えたらいいな。
世の中の大多数に理解をされなくてボロクソ言われても、少しは理解が出来る我々がどうか手を取り合えたらいいな。

そう思って、たらたらと色々書いてみたけれど。
何の気兼ねもなく観劇が出来る日々が戻った時に、今抱いている気持ちを忘れないためにも、自分の為の記録でしたとさ。


頑張ろーな!演劇界!!!!
観る方も作る方も運命共同体だ!!!!!